しごと

お金を稼ぐってことは、会社を通して社会をうるおすこと。
その対価として、お給料をもらって楽しいことしながら生きてる。
会社は、お金をめっちゃ稼いで社会に貢献しないといけないし、
僕たちはそのお手伝いしなければいけない。

っていうのが世の中の常識で、僕たちはそこら辺を特に意識しなくても
流れに身を任せるだけで、わりと社会にいい感じで貢献してると思う。
自分のことばっかり考えてても、ルールさえ守れば割りと世の中はいい感じでまわるから、この仕組考えた人はえらいなー。

社会の仕組みに乗っかるってことは、時には自分の正義感に反するような事を要求されるかもしれない。

三年で壊れるゲーム機を開発しろと上の人から言われて、反発する開発者もいたかもしれない。だけど、三年後の世界をより良くするふんどしを締め直して頑張ればいいんじゃないかなぁ。と思ったり。

それが、ゲーム機を買う人を欺いているとしても。

漫画とかアニメだと、腐った大人として描かれている像に段々近づいていってるな〜〜。

ピュアであればあるほど、世の中に疑問や不満がでてくるのもわかるけど、社会主義な感じになるのは、世の中味気なくなるような気がするから、もっとおまえら(社会に不満ばっかり言ってる人たち)ちゃんと考えて働けって思う。

愚痴っぽくなってしまったけど、最近働く意味について考えているヨハウィングなのであった。

生まれつき苦手なものと向き合うゾ!

社会人になってから、自分の不得意に向き合うことが多くなった。
緊張しいだったり、空気読め無かったり、滑舌わるかったり。

先天的な劣等というより、育ってきた環境に依るものもあるし、
親から受け継いだものもある気はしてる。

ただ、その点を指摘された時に

「ちょっと生まれつき苦手で・・・」って言い訳できるほど
子供では居られなくなってきているのでござる。

社会はつらいよ

一つ一つの問題に向き合うのもいいけれど、
その問題に包括的に取り組めたら、今後の人生変わるかもしれない。

と思い立ったが吉日、文字に起こして頭のなかを整理しようと思うゾ。




今まで生きてきて染み付いた苦手に向き合うのはけっこう辛いものがある
今まで何度となく向き合っては挫折してきたことだし。

自分の心のなかを覗いてみると、

「まぁ、苦手なもんは苦手だからしょうがないよね。できなくても。」

という言い訳がましい台詞が出てきたり、

「どうやって改善して良いのか分からない。ってか無理。」

みたいな逆ギレっぽい声も聞こえる。

向き合う前から逃げているのが根本の原因なのか・・・?

この世で起こる事象は、わりと物理法則で説明できると聞いたことがある。

抵抗が少ない方に電流は流れるのと同様に、
人も、なるべく苦労が少ない方に流れていく。

そもそも、苦手に本気で向き合える人は少なくて、
人は誰しも自分の欠点を、見て見ぬふりしてやり過ごしている。

歯医者に行かなきゃいけないことを見て見ぬふりして過ごしている人に、
果たして自分の欠点を改善することができるのだろうか。

自分を変えることはそう簡単では無いが、
世の中には、自分を変えるプラクティスが幾つか存在する

そのプラクティスは大体、この3つに集約される気がする。

  • 環境を変える
  • がんばって習慣化させる
  • 人生を変える出来事を待つ

この中で一番手軽かつ七面倒臭い、「習慣化」こそが苦手を克服する第一歩だと考えたり。
「できるならとっくにやってるぞ!」という声が聞こえる気がするけど、
苦手なものの習慣化ほど、大変なことはない。

物理法則に逆らうわけだし、ライト兄弟みたいな気合いが必要やよね。

自分でいまからできることはいくつかある。

・紙に書いて見えるところに貼る
・声に出す
・お金に頼る

まぁ、要はいかに常に記憶にとどめておくか問題なのだけれど、
ただ、暗記するだけじゃなくて、常に意識の最前線に持ってこなきゃいけない。

今年の個人的な目標の「質素に生きる」は、身の回りに言いふらして自分を戒めたりしてる。各種SNSに貼り付けたり、blogに載せるのもありかも。

根本的な解決を目指すというより、意識の最前線に持ってきて習慣化させる。
これによって、苦手をごまかすかつ、習慣化させて慣れていって、一年後くらいに苦手が治ってる。という結果を期待する。

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朝寝坊だけは、お金に頼りました。

ウェブの移り変わりは早いらしい

インターネットの好きなところに、情報のスピードの速さがあるけれども、
どうもそれが嫌という人もいるらしい。

それもそうで、インターネットでものづくりの仕事をしていると
せっかく作ったサイトが一瞬で消えることも少なくはない。

せっかく気合入れて書いたブログも、海の中に一瞬で埋もれてしまったりもするのは
やはり少しさみしい気もする。

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同様にワイドショーで流れるニュースや芸人も、視聴率次第ではすぐに消え去ってゆく。

だけど、生き残るコンテンツと忘れられるコンテンツと比較してどっちが偉いとか悪いとか、そういう話をするのも少し悲しい。

すぐに消えてしまうコンテンツに魂を賭けている人もいるわけだし
時代の気まぐれで祭り上げられてしまうものもあるし

生き残ってゆくコンテンツばかりを消費するのもよいけれど、
インスタントなものをインスタントに消費して、
時代の息吹を感じながらどんどん忘れていくような生き方も
時には必要なことだと思いました。

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大量消費って時にはディスられがちだけど、
それだけ素晴らしい世界を見てるということでもある気がするので
その世界を一つ一つ大事にもっていたいと思いましたとさ。

コーヒーの話

コーヒーについてちょっと話したい。

いつもコーヒーを飲むときは、
ちょっと口が寂しい時か、食後に眠気を抑えたい時。

家でもリラックスしたいときは、ペーパードリップしてるけど、
正直そんなに味にこだわりは、セブンに売ってるの挽いてあるやつ買っちゃう。

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そんなぼくでも、年間コーヒー消費量TOPは、インスタントコーヒーになる気がする。

昨今のインスタントコーヒーはすごい
特にこいつ。

この値段と量でこの味ということが信じられない

ちゃんとコーヒーの味がするから安心して買えるし。
(といううか他の缶コーヒーがこの水準に達せないのが不思議)

これも結構飲む

ちょっと高いけど、おいしー。

コスパ的には

これの味が究極だと思っている。

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その他のコーヒーの楽しみ方

  • 店のコーヒー
    • エスプレッソはアメリカンで
    • ドリップはゆっくりのむ
    • 時々店で豆選んで挽いてもらう。
    • 家でじっくり淹れるの楽しい。
    • あんまり家にいないから、豆が減らない。

産地とか覚えたり、ミル買ったりすると、コーヒートークできるようになる気がしてるけど、そこまでのめり込むほどじゃない

クリエイティブと踊る

どうやら、やっとこさ大学を卒業できそうなので、ブログ書きます。すこし自伝臭くなるので、ご了承のうえでお付き合いください。

目次

  1. デザインに踊らされる
  2. プログラミングに踊らされる
  3. 広告に踊らされる
  4. インタラクティブと踊りたい。

デザインに踊らされる

僕がデザイン系の大学の門を叩いたのは、ちょうど今から6年ほど前のことでした。サッカー部でPCヲタで中二病で小僧だった僕をデザインへと引き釣りこんだのは+81という雑誌でした。「まぁ、雑誌ってこんな自由な表現もあるんだすごい〜」ってなったのは今でも覚えています。特に、本文を読ませる気が無かったところが面白かった。写真も文字もコンテンツも、レイアウトという魔神の奴隷、今はなき+81の価値にどうしようもなく惹かれたことが、今でも鮮明に思い出されます。

それからというもの、デッサンの勉強を始め、勉強を疎かにして大学に落ちて浪人して、予備校に入って真面目に一年間勉強して、ようやっとデザイン系の大学に入りました。入れて嬉しかったのですが、入試の合計点数がクラス最下位だったのはいい思い出です。幸か不幸か、一浪という枷は僕にとってプラスに働いたらしい。もりもり、夢にむかって頑張ってました。

しばらくすると、僕はこんなことを考え始めます。「デザインはなんぞや」という、わりと普遍的なテーマーです。本を読むと、偉い人達は大抵同じような事を、オサレな言い回しでサラッと言ってきます。とりあえず本は捨てました。そして、周りの人に聞いたりしましたが、みんなドヤ顔でこう言います、「デザインは問題解決」「アートとはそこが違う」。そして、こんなエントリを書きました。この記事を要約すると、「デザインなんてただのカッコつけ」。

そして、僕は考えることをやめました。「デザイン」は客寄せのためのバズワードか、ただのカテゴリ名で中身なんかホントは無かったのです。いや、まぁ色んなデザインの共通項挙げていったら、「情報の整理」とか「問題解決」とかあるかもしれないですけど、僕が言いたいのは、仕事や作業内容の便宜的なカテゴリ分けとして「デザイン」という言葉を使っているパターンが圧倒的に多いということです。

例えば、クルマのデザインと雑誌のデザインは、まったく違った考え方や目的を必要とします。雑誌のデザインだけを取ってみても、その雑誌の目的の差で必要な頭の使い方はまったく違ったものになります。本当に知るべきだったのは、「デザインの本質」ではなく、「目的を達成するための思考とスキルセット」だったのです。

それからと言うもの、デザインの作業を細分化して考えるようになりました。ウェブサイトのデザインをフォトショップで作る作業、フリーペーパーのデザインをインデザインで作る作業、イラストレータで見出しのパスと文字組をこだわる作業。といった具合に、デザインに必要なスキルセットを細分化して考えることが出来るようになりました。デザインとスキルセットを分離することにより、すくなくともデザインという単語に踊らされることはなくなりました。

もちろん専門的な知識が必要とされる職人芸的なおしごとではあるのですが、一口にデザインと言っても色々なものがあるので、それぞれにそれぞれのデザインの世界を一括りにデザインという言葉で総括するのはいささか乱暴な気がするのです。

プログラミングに踊らされる

HTMLで始めてものづくりをしたのは厨二の時でした。Apacheサーバー、DNSを立てて、HTMLを書いて絵やポエムをインラインフレームで構成してハイパーリンクをつなげて楽しんでいました。すいません、よくわからないですよね。あの頃は、一行もプログラムを書いては居なかったのですが、それでも、自分はとんでもないモノを作ることのできる人間だと信じて、ダンボピノキオ天狗アリクイになっていました。

時は流れて数年後、大学の授業でひたすらWebコンテンツを作らないといけない機会がありました。その頃は、Flashは死ぬぞ、HTML5が未来だぞ、とか言われてた時代で、ほんのたった一行もプログラムを書いてこなかった僕が、生まれて初めてプログラム言語に触れます。canvasでパーティクル表現してかっちょよくなっているサンプルを、他のサイトに埋め込む作業です。その時初めて、関数と変数とforループを学びました。すいません、よくわからないですよね。

それから、セルフデスマーチの日々が始まります。学校の片隅にある電源Wifi24hな場所があったので、授業おわったあとひたすらコーディング。わからないことがありすぎて、Google先生にひたすらGETでHTTPリクエスト送ってました。眠くなるまでコーディングして、次の日の授業で睡眠を取り、また夕方からコーディングする。その繰り返しの日常でした。やがてHTMLとJavascriptとPHPとmySQLを駆使してWebサービスを作れるように成長しました。すいません、よくわからないですよね。

そのうち仕事頼まれるようになるものの、マネージメントが意外とめんどくさいことを、ひしひしと感じるようになり、「こりゃ定職につかなきゃ貴重な時間を棒に振るのではないか?」と感じ始めました。その解決策として、バイトだったりインターンを始めました。その時はまだ、仕事とプログラミングが頭の中で全然結びついておらず、色々苦労しました。

そこでまず、僕は「プログラミング」が全くできていなかったことに気づきました。僕は社会的に見れば、HTMLとCSSをスラスラと書けるだけの、ただのWeb屋でしかありませんでした。デザインスキルも特に高いわけでもなくいつも買われるのは、CSSを組む速さだけでした。それだけの人間になるのが怖くて、デザインが出来るよアピールしたり、無理してvim使ったり、シェルいじれるようになったりしましたが、それでもプログラミングをしてる感じにはなれませんでした。すいません、よくわからないですよね。

周りで、ちゃんとしたプログラムを書いている人がぞろぞろいる中で、「僕の価値って何なんだろう。」と考えざるを得ない戦いが始まりました。そもそも、ぽっと出で大学2年からプログラミングを始めたデザイン系ニワカが、専門学校から合わせて5年以上プログラムを組んでるスーパー玄人には、どうあがいても勝てはしないのです。しかし、玄人プログラマに勝てる点は沢山あると思っていました。

彼らと自分との最大の違いは、「プログラミング以外もやっているか」のその一点に尽きる気がします。彼ら玄人が他に何もやってないと言いたいわけではありません。ものづくりという視点から見て、デザインや広告というバックグラウンドがありつつ、それに対応しうるものづくり精神を養っているという点で彼らとのはっきりとした差異を感じていました。

これから、「文系プログラマ」と呼ばれる人が増えて行くに連れて、他ジャンルとのハイブリットを実現するプログラマが増えていくように思えます。その波に乗りつつ、うまいこと世の中を渡り歩けていけたら割と本望だと思う今日このごろです。


広告に踊らされる

大学時代、僕は6つほどサークルに入りました。かなり多いほうだと思います。その中の1つに、とある広告サークルがありました。何か議論が始まろうものなら、やれ「コミュニケーションデザイン」、やれ「コンタクトポイント」などという単語が飛び交うような、意識の高さのベクトル↗が広告クリエイティブ系に振り切れてる、そこら辺じゃあんまり見ないサークルでした。メンバーがみんなクズすぎて、マネージメントが全く出来ないながらも、机上の理想論で色々語りつつ、数少ないながらアイデアを実行にも移したりしました。バレンタイン保険とかつくったり、新歓サイトつくったりしたのは良い思い出です。

しばらくして、就職の時期になり某広告会社のインターンに行きました。その時期は、アートディレクター的な職種になろうとしていたのですが、「ちょっと違う」となりそこであきらめました。アートディレクターになるためには、もちろん売れる画面をつくるセンスと、デザインスキルが求められる他に、超絶マネージメントスキルが高くないと、社会に自分の思った通りのものは出せないと感じました。

僕はそこで一旦、広告という言葉から身をおきました。必死で作ってマネージメントしたものが、決して思い通りのものではなくて、世の中の繁華街の景観を汚す一役を担うと思うと、「広告なんて大したことは無いんじゃないか?」と当時は思っていました。その時思ったことは、このエントリーに書かれています。

K本的に本を読まずに、自分で考えて発見をすることが好きなタイプの僕ですが、当時自分のやるべきことに迷っていたので、すこしばかり本を読むことにしました。そこで、僕は答えのヒントを貰うことに成功しました!。(本は知の近道!)本の題名も印象に残った言葉もまったく記憶していないのが悔やまれるのですが、「アイデアを考えることは神の業」という旨の内容だったかと・・・たしか・・・。

いままで人類が進歩してきたのは、常識をうたがって、今までにない発見をモリモリと積み重ねてきたからだと。神が人間を進歩させると仮定すると、神に近づく唯一の方法は、エウレカ!的発見をすることだと。つまり、アリストテレスは神に近い人間だと。大分スピリチュアルな解釈を個人的にしてますが、当時の僕にとっては、とても良いインスピを得た記憶があります。

僕が広告に惹かれていた点は、その業務内容というより、「市場で一番多くアイデアを売っている業界」だったという点でした。正直、生活者を根本的に変えるプロダクトのアイデアは中々生み出せないかもしれませんが、「生活っておいしくなるよね?」とか「    」などといった、”こういうモノの見かたってできるよね?”、というアイデアを世の中にオラオラオラオラオラオラオラオラオラと乱射できる仕事、ということにどうしようもなく惹かれていたことに気づきました。

そして、それを一番手っ取り早く実現できる仕事を探すようになりました。そして、これからそういう会社で働くことになります。その時感じたインスピレーションのまま来てしまいましたが、まぁそれが間違っていたとしても後悔はしないでしょう。

インタラクティブと踊りたい。

デザインとかプログラミングとか広告とか色んなモノに踊らされた僕ですが、冷静に一歩引いて自分を見てみると、「インタラクティブ業界」に適正がある人間だったことがわかります。普段の生活や態度はクズすぎるけど、短期間のものづくりは一級品。そんな人間に慣れる素質を備えてる。 とか分析してみたり・・・。

僕はもうデザインとか、プログラミングとかそういうのに踊らされない。「インタラクティブ業界」という軸を持って生きて行くのだと思います。 UNIT9みないな規模のものに関われるといいな〜。

2014年振り返り

今年つくったものを見ながら、今年を振り返ってみようと思います。

作ったサイト

1.Pairy Date

2月の頭頃にインターンし始めた会社での最初の仕事。
この頃は、Webのスキルを業務レベルにしようと必死でした。

2.Famm

インターンしていた会社の二作目。
この間に、既存のサイトの調整とかWebビューページとかやってますが、ちゃんと作った感あるのが、このサイトです。ちなみに、今のサイトはバージョン2です。

あと、ひたすらレスポンシブルに頑張ってたんで、大分慣れてきた感はあります。

そういえば、ロゴも作った記憶があります。

3.ワカスタ

知り合い経由で頼まれて作りました。
慣れない仕事環境で大変でしたが、なんとかやりきりました。

部品部品は割りと気に入ってます。

4.yohawing.com Ver.3

ほぼ、javascript制御に切り替えたり、SVG使ってみたりとかしてました。
Indexサイトに専念した作りとか意識したり、
来年はもうちょっと遊んでみたいですね。

5.Hiroyuki Ikezawa

作るのに一年かかった怪作です。
テーマは小説。
特殊なデザインのサイトを作れて地味に嬉しいやつです。

6.ヨハウィングのじゆうけんきゅう

ProcessingのコードのJs移植とかビジュアルコーディングの研究とかやってました。
みんなが見れるサイトを、デザインと実装込で3日で作るスピード感がそこにはありました。反省としては、Vue.jsくらいは使っておくべきでした。Json汚い。
ComicSansは意外と使えることがわかりました。

7.新しい会社での仕事

細かい所いろいろお手伝いしました。
ガッツリ系は、来年ローンチのやつが一個あります。

8.The Snowflake Story

雪の結晶の一生を追体験できるコンテンツ
いわゆる、アニメーション作品を作りました。
Webならではでも、プログラミングならではでもなく、ただただ、力技頑張りました。2014年を締めくくってます。

 

来年は社会人になって、もりもりインタラクティブやりたいです。

黒人ヒッピーは居なかった


モンタレーポップフェスやウッドストックなどの映像を見ていると、観客側に黒人が異様に少ない事に気付いた。また、嵐の青春(PSYCH OUT)や白昼の幻想(TRIP)のようなヒッピー文化を主題とした映画を見ていても、黒人の出演者は少ない。このことから、ヒッピーにおける黒人の人口が少ないことに気付いた。当時ヒッピーの間で流行していたロックミュージックやサイケデリックロックは、黒人のブルースやゴスペルが元になっている部分が多く、黒人が作った音楽と言えるのにもかかわらずである。これには、当時のアメリカの黒人迫害の世相と密接に関係しているものと思われる。今回は、黒人とヒッピーとロックの関係図を洗い、論を作ることとする。

黒人からロックは生まれた。

そもそもロックは黒人が作った音楽である。20世紀初頭にブルースと呼ばれる音楽が、労働階級の黒人の間で生まれた。当時の黒人迫害の影響を色濃く残した、極めて原始的な音楽であり、歌われた内容は、労働や女や酒など、当時の風俗の事を主題とした内容がほとんどである。しかし、その感情に直接結びついた表現方法は、当時としては極めて画期的であったようである。ブルースが登場する以前は、クラッシック音楽のような、貴族のたしなむ洗練された知的な音楽のほか、教会で歌われるようなゴスペル(神への賛美歌)など、綺麗な俗要素のない音楽が主流であった。しかし、ブルースはそこから音楽を解放し、人間の本能と直結したような、極めて泥臭い音楽であった。登場した当時は黒人の間で、酒場で客を盛り上げるような形態で演奏されていたようだが、耳の早い音楽家がブルースの存在を嗅ぎつけ、本国でブルースを紹介しだした。これが今後に音楽の歴史を作る、「ロック」の誕生である。

白人がブルースを見出した

ブルースはその後、黒人の間でヒットし何万枚ものセールスをあげたが、それは黒人の間でだけの流行であり、世界的にブルースが流行するのは、エルビスプレスリーの登場を待たなければならない。チャック・ベリーなどが、ブルースをロックンロール・ブギウギへとの進化へと貢献したのち、エルビスプレスリーが白人としてそれを取り入れた瞬間に、ロックンロールは大ヒットを果たした。ブルースは、音楽としては多大なセールスの可能性を秘めていたものの、「黒人の音楽」というだけで、広い層には普及しなかったのである。プレスリーのヒットにより、ロックンロールにビジネスチャンスを見出したレーベルは、積極的にミュージシャンのプロモーションをするが、そこに黒人の介在する余地は少なく、あたかも「ロックは白人の音楽である」というスタンスを貫いた。このスタンスを抜け出すのには、ジミ・ヘンドリクスの登場を待たねばならないのだが、それだけ、黒人差別という文化の根は深かったように思える。かくして、黒人音楽は黒人不在のまま世界的にヒットを果たすのであった。

なぜ、黒人ヒッピーは居ないのか

ヒッピーは白人の富裕層から生まれた文化である。そもそも、お金に余裕がなければドラッグに浸る余裕もないし、国の体制に隷属されていた黒人がそこからの反抗としてヒッピーとして浮浪を始めるというのは、贅沢過ぎたのだ。当時の黒人は生活がやっとであり、日々生きることが精一杯であった。レコードを買って音楽を嗜み、集会やコミューンにふらふらと顔を出す余裕などなかったのだ。かくして、ヒッピーは白人専用の文化となり、そこに黒人が介在しようものなら、人類皆平等を謳っていたヒッピーですら、根強く残る黒人への偏見がそれを許さなかったのである。しかし、音楽的に評価されていたミュージシャンはこの偏見を超え、聴衆にエクスタシーをもたらすエンターテイナーとしてある程度の支持は得ていた。しかしそれでも、ジミ・ヘンドリクスはイギリスでヒットしていなければ、アメリカ本国での登場は遅れていただろうし、また、ソウルミュージックの素晴らしさに白人が少しでも目を向けなかったら、オーティス・レディングがモンタレーであれだけの喝采を浴びることはなかったであろう。それほど、アメリカ本国での黒人差別はひどかったように思える。

しかし、その頃の黒人の間では音楽は何も流行せずにいたわけではなく、黒人クラブのなかでは、ファンクミュージックが賑わいを見せていた。ソウルミュージックから派生した、踊れて陽気で元気の出るファンクミュージックは、公民権運動で疲弊していた人々の心を癒していた。黒人はヒッピーになり、ドラッグに浸る日々ができない代わりにファンクミュージックで仲間と踊り明かし、ハイになっていたのであった。ファンクミュージックでは、ジョージクリントンジェームズブランなどのスターがシーンを牽引し、後世に多大な影響を与えた。黒人の独特のリズムの捉え方は人間の本能に根ざしたものがあり、このリズムは後々の音楽に山ほど取り入れられることにもなる。

ロックを取り戻した黒人

1970年代の終わりになると、当時アメリカで起こっていた公民権運動は沈静化をみせ、黒人への社会的な差別は次第になくなっていった。音楽においても、ソウルミュージックが流行を果たし、黒人の音楽の素晴らしさを人々が楽しむようになったのである。その発端は、モンタレーでの黒人ミュージシャンの素晴らしい演奏が背景にあるのかもしれない。ファンクやディスコの楽曲も白人の間でもセールスが上がり、世の中の風潮から、次第に差別の色が薄れていったのである。ブルースやソウルミュージックを作ったとして、黒人ミュージシャンを見る目は次第に世の中に溶け込んで行き、生活も安定したのか、観客に黒人の姿が見られるようになったのもこの頃である。プリンススティーヴィーワンダーらが世界的なヒットを果たし、世界からも黒人音楽の支持が集まりだした。

白人の音楽も盛り上がりを見せる

しかし、ロックは白人のものでもあった。80年代になると、オルタナティブロックの兆しが見え始めたり、パンクミュージックがイギリスで流行った。ブルースの臭いは多少残るものの、全く新しいロックの形が白人の間で生まれたのである。一方黒人の間では、アンダーグラウンドでヒップホップの手法が開発されたりディスコ・ファンクなど、そちらでも賑わいを見せた。プログレッシブロックの流行では、黒人的な要素からの脱却を目論み、無機質で複雑な感情を排した硬い音楽が台頭を見せたり、テクノミュージックのような一定のリズムの反復によるエクスタシーの追求もこの頃なされた。音楽文化が一気に花開き、その役目を担ったのは他でもない白人であった。

まとめ

ロックミュージックは、黒人が生み出し白人が広めたということは、揺るぎない事実ではあるが、その裏には人種差別という文化があったのだった。今こそは、その壁は薄れつつあるものの、ロックは白人の音楽であるという固定観念が根付いてしまった。ヒッピーに黒人が居なかったように、ロックの歴史には黒人は居なかったのだ。いや、そうされてしまっている。文化と人種は常に密接に繋がっているが、時にはそれに気づかずに過ごしてしまう。しかし、よく考えてみれば、人種のるつぼとよばれるアメリカの1文化に白人しか登場しないのはおかしい話である。その裏に、人種差別という文化があったことに目を向けるべきではなかろうか。

編集とデザイン

先日、創刊から一年間所属していたフリーペーパー制作団体を辞めました。辛いことも楽しいことも為になることも色々経験させていただき、とても有意義な時間を過ごせました。みんなありがとう。これからも、頑張って欲しいです。

その団体では、アートディレクション・紙面の品質管理・Webなどなど、色々手と口を出しながらお仕事をこなして来ました。主に後輩たちにInDesignとタイポグラフィを教えることに終始した感じはあります。この時代においても、やはりAdobeソフトをいじれたり、Webサイトを作れたりする学生は希少種なようで、時には仕事人として、時には便利屋として、無償で色々こき使われたりしました。楽しかったです。

数々の有名雑誌が廃刊し、「雑誌はオワコン」と密かに囁かれる現代において、フリーペーパーというフォーマットをやる意味が自分にはあるのかと。そんなことを考える日々もありました。

この記事は、雑誌作りで勉強したことと、フリーペーパーというフォーマットについて。色々考えたことを載せます。この一年お勉強したことのまとめ。少々お付き合いください。

  1. フリーペーパーを創刊する(のを手伝った)
  2. 雑誌のコンテンツを考える
  3. 雑誌の紙面を作るときの、やることリスト
  4. 紙面のデザインをするということ
  5. 編集とデザインの カ ン ケ イ
  6. 雑誌の生きる道、死にゆく道
  7. ハイパーリンク VS ペーパーメディア
  8. まとめと謝辞

フリーペーパーを創刊する(のを手伝った)

「フリーペーパーを作りたいので、手伝って欲しい。」

そう頼まれたのが去年の3月の半ば頃で、その時は「よくある学生のフリーペーパー団体っぽいことやるのは嫌だなぁ」とか思っていて、最初は断ろうかと思っていました。しかし、「宇宙のフリーペーパーを作りたい。特に宇宙開発のホットな情報を高校生に伝えるもの。」と聞いた時。宇宙いいじゃん!宇宙!ターゲットも決まってるし、宇宙ってなんかいいじゃん!とか思ったので、やっぱり手伝うことにしました(笑)。宇宙ってなんかいいですよね(笑)。うん。

ものづくりをする時、どんなものをでも言えることなのですが、

  1. それが世の中に必要なのか
  2. それを作れるリソース(資源)があるか

この2つをクリアする必要があります。

① まずはじめに、何が世の中に必要とされているかということを考えます。ターゲット(相手)を設定すると分かりやすくなるのですが。例えば、宇宙に興味を持っていて、宇宙系のお勉強をしたい高校生が、宇宙開発の情報をわかり易く知れるようなフリーペーパーが存在していない!だから、それを作る。とか。これから作るものの、どの要素が世の中に必要とされているかを明快にすることによって、自ずと作る物のコンセプトが決まるかと思います。それが、ものづくりにおける、重要な柱となり最後までブレずに、良い品質のものを作ることができるのです。

② また、ものを作るにあたってリソース(資源)があるかないかは、当然重要な問題となってきます。自分で作れなければ、作れる人を誘えばいいし、お金で解決もできます。そして、それをどうやって作るか、どこまで作りこむか、など考えることは沢山あります。ソフトが無ければ、Adobeと悪魔の契約を交わせばいいし、スキルが無いなら、実践で身に付ければそれでいいのです。

雑誌のコンテンツを考える

雑誌のコンテンツの良し悪しは、8割型見出しで決まると言っても過言ではありません。見出しとは、その記事のコンセプトの簡潔な表れであり、人目を引くキャッチコピーでなくてはありません。良い見出しが、良い記事を形作るとも言えるでしょう。見出しから記事を作る場合も多いかと思います。

良い見出しを作るためには、目的とターゲットをシンプルにしないといけません。①自分が伝えたいことを、どのように受け取って欲しいのか、②その伝えたいことは、簡単に表現できるか。この2つをきちんと考えてさえいれば、良い見出しと呼べる基準をクリアするのは容易いことかと思います。見出しは、雑誌においてもインターネットにおいても、非常に重要なものとして扱われます。また、情報にアクセスする際の掴みとして、その記事のクオリティを左右する指標としても機能します。

雑誌のコンテンツを考えるにあたって、良い企画を考えることも大事ですが、よい見出しを生み出すことがそのまま記事のクオリティを左右すると言っても過言では無いでしょう。

雑誌の紙面を作るときの、やることリスト

雑誌が、小説や写真集などと本質的に違うところは、自己表現を省き、情報のまとめを体系立てて伝えるところにあります。つまり、デザイン力でも文章力でもなく、情報の編集力のウェイトが大きいのです。編集者は、ただの校正作業に留まらずに、様々な情報を幅広く取り入れて考えなければいけないのです。雑誌とは編集人がつくるメディアなのです。

雑誌の編集やデザインをしていると、既存のさまざまな雑誌を注意深く観察する機会が増えます。そのとき、プロが考えたりしている、雑誌づくりの大切な要素が少しづつ透けて見えてきます。

見出しから次のページをつなげる視線誘導・ページネーション、写真や図画の効果的な使い方や、斬新で面白いレイアウト。コピーや文章のタイポグラフィ・組版の巧みさや丁寧さなど、先人の努力と工夫から、様々な点で取り入れるべきところがあります。

編集者もデザイナーも、この訓練を日常的にしないといけません。審美眼と思考力の一番効果的な訓練は、既存の良いものの、分析と完コピであると僕は思っています。完成品から逆算をして、自分はどういうことを考えれば、そのアウトプットに行き着くことができるかを逆算することによって、実際の作品制作に応用することができるのです。

紙面のデザインをするということ

雑誌のデザインをするにあたって、注意しなければいけないのは、マクロな(ざっくりな)視点とミクロな(細かい)視点の両方を持たなければいけないところです。

マクロな(広い)視点では、読者がページをピラピラとめくった時、それがどんな記事でどう魅力的かを、すぐに分からせないといけません。その記事にまつわるキーワードを散りばめて、記事の要点を一瞬で伝えます。写真を効果的に配置したり、配色色や紙の種類を変えるのもよいでしょう。特集記事ごとに違った印象を与えなければいけません。ページごとに、文字の色やフォントを変えたり、写真の使い方やレイアウトを効果的に組み替えて、ページをめくる楽しさを演出します。

ミクロ(狭い)な視点では、文字組やアキ量設定を調整したり、記事ごとの視線の流れの誘導をしっかりと設計することを考えないといけません。ここは、デザイナーの力の見せ所ですね。泣き別れやぶら下がり、カーニングに合成フォント。デザイナーが知らないといけない知識はかなり多いです。ぜひInDesignを使って様々な細かい設定にトライしてみて、必要な知識を身につける必要があります。

編集とデザインの カ ン ケ イ

編集はデザイナーであるべきだし、デザイナーは編集者であるべきでもあります。編集は情報を体系だててまとめる役目、デザイナーは情報を整理する役目を担います。その2つに本質的な違いはさほどありません。バラバラの要素を整理して整合性を持たせて、ひとつのストーリーをつむぎ、読者にアクティブな感動を与えられるように工夫することが、編集デザイン(エディトリアルデザイン)の仕事であると思います。

これらの事をきちんと実践するためには、デザイナーは編集者の視点を手に入れないといけません。また、編集者もデザイナーの方法論を習得しないといけません。どのような情報のまとめ方をしたら、人の興味を引くことができるか、どのような言葉遣いをしたら、記事の内容に興味を持ってもらうことができるか。一つ一つのデザインに意味や狙いを持たせて、そのアウトプットをその都度自分の目で確かめないといけないのです。

雑誌の 生きる道、死にゆく道

雑誌は死んでいると言われて久しですが、本当に必要とされる情報が、きちんと編集されて人の目に触れているのであれば、どんなメディアであれそれは「Magazine」と機能すると言えるのではないでしょうか。たしかに、紙の媒体としての雑誌は商業的には終わりを迎えているのかもしれません。しかし、それはWebへと時代が移行して行く中で、雑誌の紙メディアとしての存在理由・アイデンティティを確立できなかった。わざわざ紙で読む必然性をとその差別化を提供できなかった結果に、昨今の状態があるのだと思います。

さて、新聞や雑誌はこのまま、古い情報しか扱えない層の中でくすぶって行くのでしょうか。書籍」が骨董品へと変化して行く中、雑誌やフリーペーパーはどのような役割を果たさなければいけないのでしょうか。

[ 無料化 ] が進む編集物のゆくえ

少し前のフリーペーパーの印象は、死にゆく雑誌の運命を裏切る新しい雑誌のビジネスモデルであったと思いますし、学生にやさしい新たな情報発信のスキームを与えた、若者ヒーローであるとも言えます。しかし、広告のみでその資金全てを賄うそのビジネスモデルは、商業として成立させるのであれば、フリーペーパー自体が広告に支配されるほかありません。資本主義に隷属化させることを望むのであれば、自身を広告の権化とするほかないのです。

そこで、資本主義の無言の圧力を無視した、草の根的な活動のフリーペーパーが死にゆく雑誌の代わりを果たさなければいけない時代が来ていると思います。きちんと編集された無料の情報は、人に読んでもらえたり、その時代において社会的に有用な情報を与えることのできるメディアになりうります。現代人は、無料の情報に慣れすぎてしまったのです。

ハイパーリンク VS ペーパーメディア

Webのメディアと、紙のメディアを優劣つけたがる流れが最近だと多いように感じられますが、それは非常にナンセンスであると思います。インターネットと紙とでは情報の編集の仕方が全く異なっているので、両者を同じ土台に持ってきて比較することはすべきでは無いと思っています。

インターネットには、ハイパーリンクというインターネット特有の情報構造が存在していて、情報と情報は数珠つなぎのようにつながっています。軽量な情報の集積とが見えないひもで結ばれていて、読者は海の中を浮かぶように情報を取り入れないといけません。

紙のメディアは、情報がそれで完結しています。例えると岩のようなものでしょうか。情報はページネーションの中での物語のように完結してなければならず、他のメディアへの連結はタブーなように思えます。一冊の短編小説を読むような物語をつむぎ、コンテンツとしてよい読後感へとつなげることが、紙メディアの目指すべきところであると私は思うのです。

まとめと謝辞

長々と書いてきましたが、言いたいことは3つです。

  1. よい雑誌を作るためには、編集とデザインの両方の視点をもつ
  2. 情報の扱い方はメディアに応じて変える必要がある。
  3. 雑誌は死なない。成熟してゆく。

世の中の情報は、深化と多様化をたどる一方で、メディアに関わる僕たちの生活もより一層複雑になってゆきます。その中で、情報をキュレーションして生活者へと届ける、編集者の仕事はより難しく大切になってゆくのだと思います。

と、まぁ。えらそーな事を書いてきましたが、たった一年間雑誌のデザインしただけの、しょぼい学生の考えたことなんで、あまり真面目に取らないほうがいいとは思いまスミス。

この一年は、インターネットと紙メディアを行き来していたので、色々と視点が広まった気がします。この場を借りて、僕を成長させてくれたフリーマガジンTELSTARに感謝の意を申し上げたいと思います。

編集という視点は、コンテンツを作る上で非常に重要なものであると思います。編集とデザインの力で、ただの野良情報をコンテンツに変える事ができる大人になりたいもんですね。

BjorkとSquarepusher

音楽サークルでやって来たこと
軽音楽サークルに入っていてその集大成としてBjorkをやりました。
一年の締めくくりとしてまとめます。

ロックサークルと自分

現状のギターロックの氾濫

巷の軽音楽サークルでは、ギターロックがあふれ主に邦楽を中心に古今東西さまざまなロックが演奏さています。当たり前のようにMarshallとJazzChorusの音作りについての話題が繰り返され、最近のアーティストの音楽はほぼやり尽くされて、隙間産業を探してはそれに打ち込む時代性がそこにはありました。

しかし、個人的にはそれを揶揄しているわけではなく、この時代にあって極めてその状態は健全な状態であり、そういう状況だからこそ、変わったことをやると映えると思っています。所謂ロキノン系バンドも好んで聞くし、そういったサークル様子に特に不満を覚えることはないのですが、むしろ、そういった状態にあるからこそ自分の中で誰も見たことがない世界を提示してみたいという欲求が生まれたのだと思います。

ロックミュージックの拡張

ロックミュージックと打ち込み音楽の融合を商業的に成功させたRadioheadの存在は無視できないと思います。90年代のオルタナティブ・ミュージックの一界隈として、Radioheadはその地位を確立し、商業的成功と歴史的に重要な役割を果たしました。

それ以降は、パーソナルコンピュータが一般層にも普及し、パソコンで音を編集するのが当たり前の時代になってゆき、00年代のオールドロックの再復興の流れへとつながってゆきます。HIPHOPのようなビートミュージックとロックの融合や、ディスコ・ファンクの流れなどと融合したDaftPunkなどのロックの風味を取り入れたユニットがロックキッズの耳へと入っていくのです。Radioheadがすべての始まりとは言いたくは無いのですが、その功績は無視できないほど大きいのです。

エレクトロミュージックとポップの融合の歴史

それこそ、Bjorkがポップスとエレクトロの時代を切り開いてきた張本人であると。90年台のDTMもそれほど普及していなかった時代に、その偉業を成し遂げたことは大きいのではないでしょうか。テクノ・ミュージックから見ても、Bjorkの楽曲に含まれるイノベイティブな要素は無視できない斬新さであるとおもいます。

日本では、YMOがテクノをバンド・サウンドで演奏しポップへと消化させました。現代の所謂Perfume的なテクノポップの流行は、YMOの実験的な挑戦が布石となっています。

Squarepusher

テクノミュージックとバンド・サウンドの融合を目論み、夏にSquarepusherをバンドで演奏しました。テクノ・ミュージックとしてのドラムンベースを取り入れたロックバンドとして選曲を行い、バンド形式にこだわり人間のビートでテクノを演奏する試みに挑戦しました。

Squarepusherは90年台〜活躍しているアーティストで、ドラムンベースのビートにベースを乗せて曲を演奏するアーティストです。Jazz・Fusionの理解があり、初期の曲はコード進行が複雑な曲も少なくありませんでした。また、ドラムンベースを昇華させ更に複雑なリズムにし、その曲調はドリルンベースとも呼ばれていました。ドラムンベースのドラムフレーズは人間が叩くのが不可能なものも少なくありません。

3ピースで再現できて、なおかつ曲として成立するクオリティにするには、それ用の選曲をしなければいけませんでした。細かいところの工夫などは割愛しますが、テクノのような無機質なものにバンドサウンドを取り入れるのはなかなか大変でした。Squarepusherが生演奏のサンプリングを多用しているため、まだやりやすい方であったと思います。ドラムにとてもうまい子がいたのでライブとして成立しました。

「Squarepusherコピーする人がいるんだ。」とか思われたいがためにやったのが本音だったりします。

Bjork

電子音楽のバンド・アンサンブル

Bjorkの楽曲は、一部の民族楽器を除いてほとんどが電子楽器によるサウンドであり、生演奏で演奏するためには、かならず電子楽器を上手く操るメンバーが必要不可欠でした。Bjorkのライブ映像を見ると、ギターや生ドラムを演奏している人はおらず、ストリングスやハープなどの生楽器をメインとして演奏しています。エレクトロのビートの上に、ストリングスやコーラスが乗っかることにより、アンビエントかつポップなサウンドを実現しているのです。このこと自体は決して珍しいことではないですが、オルゴールを使った生楽器の自動演奏を取り入れていたり、電子音を人のグルーヴで出す工夫をしていたりと、両者のクロスオーバーを高レベルで実現しようとしているところにこだわりを感じました。あっぱれ。

人間のグルーヴ

Bjorkをバンドでコピーする上でこだわりたかったところは、普通は打ち込みの部分を一旦人のグルーヴを介して表現することです。クラブで流すわけではなく楽器演奏会としてのライブなので、打ち込みを流しただけで、はいライブでしたとは言いたくありませんでした。

バンドの背骨であるシンセベースは基本的に打ち込みやMidiOutを用いたほかは、演奏が難しいパート以外はすべて生演奏をするようにパート分けを行いました。そうすることにより、打ち込みを流すだけと思われているテクノ・ミュージックをバンドとしてのライブとして昇華させました。

ドラム・トリガー

バンド演奏で重要となってくるリズムパートですが、テクノミュージックではあまりドラムは演奏されません。しかし、Bjorkの演奏にはテクノ・ミュージックというよりポップ・ミュージックであるため、人のグルーヴを介した電子音のビートが必要不可欠でした。また、ドラムの生演奏では出せない音があります。そもそも、生ドラムセットではどんなに工夫しようとも出せる音色には限りがあります。その壁を超えるために、「ドラムトリガー」を作りそれをライブに取り入れました。

ドラムトリガーとは、振動センサーをドラムセットに取り付け、叩くとその振動を検知し予め用意していた音が鳴るというものです。これにより、生ドラムのビートで電子音を鳴らすことに成功しました。電子ドラムを買うよりは断然安上がりです。

DTM

Bjorkの音をライブで再現するためには、一旦すべてのパートを耳コピして聞き分けることが必要不可欠でした。というのも、生演奏では再現できないフレーズや音を見極める必要があったからです。そのため、ライブで演奏する5曲すべてのパートを耳コピして打ち込みました。音色も出来る限り再現し、原曲と遜色無いレベルまで打ち込みの完成度を高めました。

MIDIとアナログシンセ

ふとしたきっかけで、アナログシンセのJuno-106を拾い、それをライブで使用しました。アナログシンセ特有のツマミに最初は戸惑いましたが、色々と弄っているうちに感覚がつかめてきました。最終的に、MIDIインターフェースでPCとつなぎ、自動演奏できるようにしました。矩形波・ノコギリ波による太い音はベース音をメインにして使いました。

まとめ

ギターロックが氾濫する巷の軽音楽部でエレクトロミュージックをバンドで演奏することは一筋縄では行きませんでした。自分もDTM初心者なりに試行錯誤して、自分なりの答えへと近づけてゆきました。世の中にエレクトロミュージックを作って配信している人は星の数ほどいますが、それをロック・バンドとして演奏しようとするアーティストはなかなかいないでしょう。それも、エレクトロミュージックを作る際はライブ演奏のことはあまり考えておらず、曲の完成度を高めるためには、ライブで再現不可能な様々なエフェクトを取り入れなければいけません。

しかし、クラブ・ミュージックの世界ではその限りではありません。DJセットで掛けられるエフェクトを楽曲に反映させることは少なくありません。むしろ大多数です。演奏楽器とは違った独自の進化を遂げたDJセットという”楽器”に今後は注目してみたい自分がいます。

エレクトロミュージックとポップスの融合の結晶を、バンドで演奏してみるという実験をしてみた感想ですが。詰めが甘い点を除いて、概ね今の自分の出来る範囲を超えられたかなと思っています。暇な時間を無駄に使いDTMとのにらめっこをしてきたおかげかもしれません。そんな壮大なお遊びに付き合ってくれた友人と後輩に感謝したいと思います。

インターネット世代のアーティストと音楽

(※全体的に日本語が怪しいです。)

最近貪るように音楽を聞き漁っています。それも、普通の人はあまり聞く機会の無いアーティストをインターネットでクリックしてそのまま聞いています。Youtubeはもちろんの事、SoundcloudやBandcampといったインディーズアーティストの活用する音楽配信サービスを利用して、低クオリティながらセンスの光る、社会のゴミ予備軍なアーティストたちを好んで聞いているのですが、様々な野良天才のセンスを舐めていくと、このインターネット世代(ゆとり以降)のあり方というものが見えてきた気がしました。

便利なインターネットが沢山の人に普及したおかげで、僕みたいな貧乏人でさえも耳を肥えさせる事ができる時代になって来ました。「おすすめのノイズアーティスト」で検索すれば、大御所からマイナーなアーティストまで様々に耳を肥やすことが出来ます。また、そういった聞き方をしている人の中から自主的に情報をキュレーションして、新しい形のメディアが出来つつあります。

新しい音楽キュレーションの形

その最たる例が、旧路地裏音楽戦争の管理人が運営している野良ミュージックメディアのHi-Hi-Whoopeeがあります。若干二十歳である彼は、ゆとり世代のスーパーネットミュージックキュレーターだと勝手に僕は思っています。音楽のメディアは、他のメディアと比べ一世代も二世代も遅れがちな印象がありますが、路地裏音楽戦争はそのなかでも最も早いものの一つだったと思っています。しかし、ニッチな情報をまとめブログ形式で編集する術自体はさほど新しいカタチでは無かったように思えました。しかし、その管理人が路地裏音楽戦争を止めてまで新しく始めたブログが、Hi−Hi-Whoopee(ハイハイ)です。Tumblrを使い、複数編集者による共同編集という形を取った音楽のまとめ方の手法は、音楽紹介サイトの中ではかなり斬新だったように思えます。取り扱ってる音楽も、かなりイノベイティブな物が多く(Vaperwaveなど)、アートの文脈で扱っても、遜色のないほど、アバンギャルドでクオリティの高いメディアの形であると思います。

リスナー視点

こうしたインターネットで音楽を聞くというやり方が見に染み付いているという事は、インターネット世代の特権であると思います。音質やマテリアルを超えた、極めて精神的な情報を貪ることの出来る世代なのではないでしょうか?彼らは、2000円代のイヤホンを使い、0円で手に入れた音楽を64kbpsの音楽を聞くことに、何の違和感も感じ得ない人が多いと思います。しかしそれでも、音楽を120%楽しみ、ヘビーローテーションして、ライブに足を運びます。音楽の情報自体の価値が下がった訳ではありません。むしろ、本質的な音楽の価値は向上したと言っても過言では無いでしょう。マス向けの当たり障りの無い音楽は駆逐され、自分の好みの音楽に瞬時にアクセスしてそこにだけお金を落とすようになるという流れは、もはや避けられないと思います。

アーティスト視点

インターネット世代のアーティストもまた、そういった流れを汲んだ方法を取り入れています。MySpaceで爆発的に売れたArctic Monkeysなどが確実にその流れを作ったと思うのですが、現在ではSoundCloudやBandcampでDIYレコードを配信したり販売したりする流れが、ほぼ主流になりつつあると思います。また、日本のバンドでも、AudioleafやTumblrなどのサイトで音楽を配信したりしているアーティストも多く、その流れは今後更に盛んになっていくでしょう。しかし、バンド形式のアーティストの多くは極めて退廃的な方法をとっているアーティストが多く、ライブで手売りしたりPVを作って流したりと、60年代から変わらない方法をとっているバンドが非常に多いです。その中で、DIYでPVを作ったり、Twitterアカウントでファンと交流するものも多いのですが、それも、5年前の世界の名残だと思っています。

未来のはなし

様々な音楽にアクセスしやすくなった分、趣味嗜好が細分化されお金をばら撒くように使う人も減って来ました。それも、耳が肥えた人が増え音楽のレベルは全体的に上がっているのでしょうが、業界的には商売上がったりです。もうそこに情報とその対価の間でインフレーションが発生している状態です。そこに業界としての未来は無く、あるのは自然発生的に巻き起こるムーブメントくらいなものです。お金では取引できない価値が大きくなり、小さなコミュニティを形成しては消えてゆく未来が想像できる気がします。そういった野良ソーシャルの形成の一端を担うのが、ニッチなネットメディアになってゆくのでは無いのでしょうか。かと言ってお金の動きが無くなるわけではなく、断続的にアーティストに中抜きの少ないお金が入ってゆく仕組みがあれば、音楽は廃れてはいかないでしょう。

まとめ

あとから見直すと随分適当な事を書いていますが、音楽のあり方が変わってゆくのは確かだと思います。(もう結構変わっていますが。)そこで、インターネット世代の私たちの身の振り方一つで、天国にも地獄にもなりえる世界が待っていると思っています。音楽業界は、常に5年分くらい遅れがちではありますが、今後は同人活動的な、ZINE的な、レイヴ的なムーブメントがインターネット上で起こってゆくのではないでしょうか?そして、その主人公である私達ゆとり世代が、アーティストとどう関わり、お布施をなげるかどうかで、未来はだいぶ変わってくるものだと思います。

駄文失礼致します。