これからデザインを学ぶ人に伝えたい事なんて山ほどあるけど、5つにまとめている。

月が綺麗です。ハイパームーン。
後輩も増えそうな今日この頃、

なんとなくデザインと一緒に歩いて来たこの二年間を、簡単にまとめて見ることにします。

  1. デザインとアートの違いってなに?
  2. センスある人には勝てないとか言ってる奴って、そいつ以上に努力してんの?
  3. パソコンが無いとデザイン出来ない人たち
  4. デザインが上手くなるために。
  5. デザイナーってぶっちゃけ~~だよね。

デザインとアートの違いってなに?

デザイン学びたての学生がよく悩みがちなテーマに、「デザインとアートって何が違うの?」ってよくあるじゃあないですか?

一般人も、デザイナーも、アーティストも、誰もが抱くこの疑問は、其れなりに勉強してる人だったら、ある程度の答えを心の中に持っていると思います。それは、人それぞれ違ってても良いですし、一般的な答えをがあっても良いと思います。よく言われる答えとしては、

デザインは問題解決。アートは自己表現。

これを言っとけば、ある程度は間違いないです。「あ、こいつはある程度わかってるな」って思われるかもしれません。現状は全然違うんですけどね。

この問題を考える時はまず、「デザインって何か?」って考えた僕がいました。

デザインとは、一体なんなんでしょうか?

元々は、デッサンと語源が一緒らしいです。Sign(指標)を作る的な意味だった気がします。一般的には、【平面的に描画された整った図と文字群】 みないな認識をしている人が多いとおもいます。要するに一般ピープルのデザインの認識は、「なんかかっこいい奴がデザインだよね」 状態です。たぶん、間違ってないです。しかし、完全に合っている訳でもありません。

本来のデザインはそんな薄っぺらいモノじゃ無いです。

デザインを作る時って、深い思考、明確な問題意識、豊富な知識、斬新なアイデア が無いと本当は作っちゃダメなんです。 自称デザイナーの卵は、ここら辺肝に命じてください。「なんとなくかっこ良いから、この色にしました。」「自分が好きだから、このフォントにしました。」とか言った瞬間にデザインの神様から見放されます。ちゃんと、設計されてそれ通りの結果が出すことが出来ないと、デザインの存在意義が危うくなってしまうのです。

デザインは日本語に直すと、意匠・設計 って訳すのが普通なんですけど、体感としては、設計→意匠っていう順序を取っていると思います。建築物を作る時が、かなりデザインの本質に近いと個人的に思っています。まず、地域の様子や地質、気候や交通網を調べて、ぴったりの場所で土台を作り、骨組みを立てて、壁を塗って、配管を組んで、内装を整えて。そういった、幾多ものプロセスを経ないときちんとしたデザインは出来ないのだと思います。

また、デザインと一言に言っても、沢山のデザインがあります。

グラフィック、建築、プロダクト、カーデザイン、エディトリアル、コミュニケーション、WEB、コンセプト etc… そのどれもに共通する事は多くありません。そして、それがデザインの本質だと思うのです。僕はまだひよっこなので、あまり明言は出来ないのですが、「それがある未来を考える事」がデザインだと勝手に思ってます。これまた、概念的な表現をしてみたんですが、モノを通して未来をより良いモノにしてゆく事がデザインの本質的な目的なんじゃないかなと思います。はい。

アートはアートで、個人的にまた別の解釈をしてるんですけど、長くなりそうなので簡単に言うと、

「美しさの先の、本当の美しさを追い求める活動」

って勝手に解釈してます。

 

 

センスある人には勝てないとか言ってる奴って、そいつ以上に努力してんの?

デザイン勉強したての学生って、本当にそう思ってるかどうか知りませんが、やたらセンスって言葉を使いたがりますよね。かくいう僕も、未だにセンスという言葉の呪縛から逃れる事が出来ません。

俺、センス無いんだよね。(まぁ、そこら辺の一般人よりセンスあるとは思うけど、上には上が居るしセンス無いって言っとけば、なんか救われるし言い訳もしやすいからそう言っとこ。)」

君、センスあるね!(いい作品作るじゃん。まぁ、俺が本気出せばそれくらい作れる見通し立ってるし、別に悔しくないけど。まぁでも、そこまで頑張らないでもいい作品出来ちゃうんでしょ?  そこは、うらやましいよね。)」

という心理的なやり取りを、幾度となく繰り返したか記憶がありません。

実際、世の中上をみたらキリが無いほど、すごい人たちはたくさん居ます。
そして現実に、生まれ持った才能で、ある一つの分野のスキルが長けている人も居ます。そして、身近にも自分より感性の良い人もたくさん居ます。

しかし、世の中勝ち組になって行く人は、頭がいい人でめっちゃ頑張れる人です。センスのある奴を部下にしてこき使ってやりましょう。という気概って大事だと思うんです。

あと、どう引っくり返っても、中村勇吾や、佐藤可士和やスティーブジョブズには成れません。そこは諦めましょう。その上で、自分が120%の力を出せて自己満足を得られる仕事に付ければ、人生ハッピーになれると思います。

そこでも、頑張ることが必要条件なのは、変わらない真理です。頑張ってる人は評価されますし、技術も向上します。しかし、頭を使わないと無駄な努力をする羽目になりかねません。僕は「頭使って頑張った分だけ報われる」論を支持してる人間です。日本は努力すれば、それなりの見返りは与えられる社会です。今のところは。

センスどうこうの話をする人はその前に、センスを磨く努力をするべきだと思います。
センスはいくらでも磨けるものですから。

 

パソコンが無いとデザイン出来ない人たち

パソコンやインターネットが普及してますね。一家に一台、一人一台パソコンを持っているのが当たり前の時代です。かくいう僕も、物心ついた時からパソコンと一緒に成長してきた世代ですし、パソコンが無いと生きていけないほどに、生活を縛られています。今こそは、iPadですべて済ませられる環境にはありますが、少し前では全く考えられない事です。デスクトップ➡ラップトップ➡タブレットという、進化が巻き起こっていて、大抵の事はタブレットデバイスで済ませる事が出来てしまいます。

この、コンピューターの進化に沿ってデザイナーの人たちの、仕事のスタイルや考え方がどんどん変わって行ってしまいました。もちろん機能が増えて、どんどん便利になって行きますし、制作物のレベルも日々進化しています。しかし、気が付くとPCが無いと何も出来ない自分がいる事に気がつきます。もし、ある時データがすべてクラッシュして何も出来なくなってしまった場合、自分の存在意義すら危うくなります。

道具はあまりにも高機能すぎると、それ中心の生活を余儀なくされてしまいます。今、僕からiPadを取り上げたら、何もする事が無くなってしまいます。それほどに便利な道具は、人を束縛してそれのできる範囲内でしか物事を考えられなくなってしまいます。

そんな人は一度、コンピューターから離れて白いカンバスに向き合ってみたら、新しい発見を得られると思います。あなたの想像力や観察力を頭の中で巡らしてみましょう。そして限られた道具で、原始的な手法で想像を形にしてみるのです。

そこには、あらゆる束縛や可能性の限界はありません。そういった気づきが、思考と道具を引き離すための良い機会となるのだと思います。

便利な道具は、目的への最短ルートを教えてくれます。しかし、それ以前に目的設定を誤ってしまっては、元も子もありません。目的設定をしっかりできる人にならないといくら努力しても無駄になってしまうと思うのです。

 

 

デザインが上手くなるために。

だれか、デザインが上手くなる方法を知ってたら教えてくれませんか?

デザインってどうやったら上手くなるのでしょうか?

そもそも、上手いデザインって何?

そんな葛藤と共にデザインを勉強してきました。

上手くなる方法を考えながら少しづつ成長してきてる感じです。Mdnを買って小手先の技術を学ぶよりも、もっと深い所でデザインを考えていかなければいけないという事にも気付きました。そもそも、デザインは、「それがある未来を考える事」だと思っているので、手法は道具でしかないと思ってすらいます。デザインに限りませんが、この三つがスキルを習得する上で必要不可欠な要素だと思っています。

  • ディスられる。(フィードバックをもらう。)
  • ゼロベース (最初から作り直す。)
  • ディスる。 (他の作品のアラ探しをして同じ事をしないようにする。)

これ、かなり精神論になってくるのですが、この三つはものすごく大事だと個人的に思ってます。

自分の間違いって、なかなか自分では気づけないモノです。ディスってもらう先輩や理解のある仲間とともに、切磋琢磨しあって行きましょう。
一番精神的に辛いのが、0ベースです。しかし、一回白紙にした作品は、前よりも必ずいいモノが出来ます。0ベースにすればするほど、いいモノができる計算ですね。 自分を追い込みましょう。

他にもデザインに限った話だと、

  • 真似る
    • いい作品の、良いと思う要素を抽出して使ってみる。
  • 見る
    • いい作品を見る事は、センスを磨く事にもつながります。
  • 識る
    • 体系化されたデザインの理論を勉強することは、ものすごく勉強になるでしょう。
とか色々あります。
でも、基本的には、ディスりディスられ、自分をいじめる事が、成長する糧になると思っています。
そういった環境に身を置くことも、非常に大事だとおもいます。

基本的にクラスや授業は、なかよしこよしのぬるぬる 環境になりがちなので、先輩がいて叱咤激励してくれるような環境に居ると、成長も段違いになると思っています。

 

デザイナーってぶっちゃけ~~だよね。

世間一般がデザイナーに対する認識は、「お金を払って、カッコつけさせてくれる人」

程度だと思っています。デザイナーと名乗ってる人に来る仕事は、大抵「デザインがダサいから、綺麗にして欲しい」だったり、「なんとなくかっこいいポスターを作って欲しい」といった程度の物しか無い様な気がします。そもそも、仕事を与える側と、与えられる側の需要と供給が合致しているので、それでいいのかもしれません。

しかし、それではデザイナーはそこら辺の理髪店にいる美容師と変わりありません。これは、美容師をディスってる訳ではありません。本来の美容師はデザイナーで無ければいけないと勝手に思っています。

人から与えられた仕事を忠実にこなす能力も確かに必要ですが、時と場合に応じて、相手の間違いを正したり、相手の欲している以上のことを提案できる人がデザイナーであるべきです。

しかし、そんなたいそうなことを考えても、デザイナーは所詮資本主義の豚でしかありません。

言われた通りに仕事をこなして、お金を貰います。そのデザインで得た収益は頭いい人たちがかっさらっていきます。しかも、世の中にはデザインは溢れています。デザイナー大杉です。

物を売るためには、気持ち悪いデザインにしないと競合に勝てなかったりします。そんな未来が想像できるにも関わらず、人は豚デザイナーになってしまいます。豚デザイナーって酷い言い様ですね。すいません。

豚デザイナーにならないためには、ある程度仕事を選ばないといけないと思っています。

よだん

資本主義の豚って、なんかかっこいいと思うのは僕だけですか?

社会の泥にまみれながらも、強く生きて行く感じが好きです。まぁ、最後には美味しく食べられてしまうんですけど。
デザインなんて結局、富裕層が精神的に満たされる為のぜいたく品だったりします。
ですが、そこに何かしらの可能性を見出して、未来をより良くできれば素晴らしいモノに変わっていくと思います。
くだらない一個人のデザイン論を、ここまで見ていただきありがとうございます。

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