独りで考えてやること

最近(ほぼ)一人でアプリを企画から制作まで行いました。

クリスマスカードをゲームを遊んで送れるWebアプリです。
http://yohawing.com/yousanta

前にも一人でアプリを作ったことはあるのですが、企画からコーディングまですべて一人で行ったのはコレが初めてです。 何度も吐きそうになるのを耐えて耐えて必死にローンチしました。今回アプリを作った趣旨は割愛させていただいて、なぜ自分一人ですべてやろうかと思ったのかを誠に私情ながら書かせて頂きます。理由が幾つかあるので、順を追ってゆきます。

自分の範囲を見極めたかったから

実は、制作に関しては後輩にお手伝いしてもらったり、先輩からBGMをお借りしたりしていたので、厳密に言えば一人ですべてやったわけでは無いのですが、企画・アートディレクション・開発など、すべて自分の裁量で指示し、フィードバックも必要最低限に留めてほぼ一人で制作しました。友達や知り合いが少ないのももちろんあるのですが、今回は自分だけでどのレベルのコンテンツを完成させられるか試してみる、という挑戦の意味合いをもって、一貫して自分の裁量だけで制作をしました。

というのも、一人でしっかりした良いコンテンツを作れる輩に僕はあまり出会ったことが無いのです。まぁ普通そんなヤツ居ないですし、そんなヤツが居たら、天才か神かと崇める用意は出来ていますが、やはり居ないです。ネット上にはちらほらそんな学生は見かけますが。そんな偶像神に一回挑戦してみて、どの分野がどの段階で壁にぶち当たるか試してみたかったのです。そして、ついに到来した就活をする際に、自分の得意分野や未熟な分野を見極めて、就職先選びをしようかなと。そういった自己分析を見越したアプリ制作でした。

僕は、どんな分野でも一緒なのですが、完成したコンテンツに非常に魅力を感じていましてですね、好きで観察して見ていると、そのコンテンツがいかに沢山の要素で成り立っているかを知るわけです。音楽だったり、グラフィックデザインだったり、写真だったり、イラストだったりアイデアだったり、ディレクションだったり。そして今まで、色々なジャンルのモノに手を出して、その興味関心を噛み砕いてきました。僕が下手の横好きになってしまったのは、アニメだったりゲームだったり映画だったりといった、完成されたコンテンツを自分の裁量で再現してみたかったという、極めて中二的な衝動の故なのです。そして、今の段階で、その力がどれだけついたのかを知ってみたかったのです。

結果的には散々なものでしたが、やはり僕はデザイナーに向いているようです。もう二度とコーディングはしないと心に近いたいものですが、周りにプログラマが居ないので、もう少しだけやるハメになりそうです。ただ、もう少し頭がよかったらと思うことが多々あり、自分は良い職には就けそうにないなと改めて感じたものです。チノウガモノヲイエルジダイデスカラネ。

ただ、学生がやる物にしては、どれも頑張れたと感じています。割りと100%の力を出しきって、完成度的には、50%位だったのでまだマシな方じゃないかなと思っています。同じ事を他のノーマルな学生がやろうとすると、20%にも満たないものしか出来ない気がしているのは、傲慢なのでしょうか?将来的には、一人で100%を作れるようになろう!という目標は特には課していません。だってつかれるもの(笑)ただ、下手の横好きであることは、どんな物事に挑戦しても、それなりの結果を得られるコツのようなものを身につける能力があると思っています。どんな職業でも3万時間かければ半人前は抜けられるとよく言われますが、それを何個か繰り返すうちにどんどんその時間が短くなっている感覚です。それには自頭とセンスが多大な加点になってくるので、算段はしっかりつけないといけないのですが、僕みたいな自頭やセンスがない人間でもわりとどれもそれなりには頑張れたので、ある種のそういう才能があるのだと思います。調子乗りましたすいません。

欲望を満たしたかった

僕が100%を出している瞬間なんて、そんな大した瞬間ではありません。ただ、壮大な自己満足(オナニー)を必死にしているだけの場合が多いです。そんなものに他人を巻き込んでしまうことが憚られるのです。

今回作ったアプリも、仲の良い人にクリスマスカードを送りたいという考えの裏に、認めて欲しい・褒めて欲しい・理解して欲しい・意識して欲しい、といった強いエゴと欲求が渦巻いていました。正味な話、人が本気を出す瞬間は、死にそうなときか女の尻を追いかけるかのどっちかだと思っているので、今回はそういった本能エネルギーをお借りして、アプリ制作の糧としています。なので、作ってる途中と作って発表した後は、それはもう最高の気持ちよさでした。まぁ、それと同時に強い挫折感も味わうハメになってしまったのですが、自分の作ったアプリを他の人の楽しんでる姿を見るだけで、物凄く嬉しくハッピーになったのを覚えています。

人は、人にハッピーを与える行動をするだけでハッピーになれます。完全に等価交換の法則を無視している、ものすごくハッピーな法則です。憎しみやKIRAIも同じような法則に当てはまってしまい、戦争とか起こると思ってのですがその感情のベクトルを変えるだけで、世界中の人が幸せになることが出来ると思うのです。別に世界中の人に漏れなく幸せになって欲しいとは思わないのですが、自分の影響の及ぶ範囲はせめて、幸せのおすそわけをして共有できれば良いんでは無いでしょうか?

それもコレも、すべて僕のエゴであり、自己満足です。自分が思ってるだけで、実はそんなに人をハッピーにしていないのかもしれませんが、それでも正直良いのでは無いでしょうか?自分が良ければそれでいい気がするのも、エゴの一部なのでしょう。

 考える力と作る力の両方を養いたかったから

コレを言ってもどうにも成らないのですが、僕には考える能力が低いです。それは、自頭とかそういった次元の話になってくるのですが、いくら訓練しようとも超えられない壁が存在することは自分で気づき始めています。

物事を考えること自体はすきで、大学に入ってからそういった機会にも恵まれ、アイデアや企画を幾つか作ってきましたが、そうした中で感じたのは、自分の自頭の不出来さです。これはもう努力謂の問題ではなく、センスだったり生まれつきの頭のネジの緩み具合だと感じても居ました。

しかし、そんな事も言っていられない人生を歩むつもりですし、一生この不出来な脳みそと付き合って行かなければいけません。せっかく、自分のやりたいことを貫き通す力があっても、適切な判断が出来ないとカラダを消耗して終わる気がプンプンしているのです。結局は誰も幸せにせずに終わるのは絶対に避けねばなりません。心とカラダを適切にコントロール出来ないと、大失態を起こす可能性すらあります。

なので、断続的に一生この脳みそを鍛えつづけて行かなければいけないと感じています。なので、他人の指摘に100%耳を傾けるのではなく、自分の頭のみで、出来る範囲のことをやろうと考えていました。この企画の為に考える時間をとり、企画書を書き、コミュニケーション設計を考えました。制作に追われて、完成度の半分程度しか出来なかったのは悔やまれますが、次にリベンジしたいと思っています。

まとめ

アーティストという職業は、企画・制作・広報・人集めなど、すべての仕事を一人で考えてこなさなければ行けません。そういった意味で、世の中で活躍しているアーティストは神レベルの天才の集積であると言えるでしょう。そういった天才が、極貧に耐え、辛い製作にたえ、素晴らしいコンセプトとともに世に出すという行為そのものが賞賛されるべきことだと思っています。僕も拙いながら、その真似事をちょろっとやったということで、アーティストという職業がどんなもんかわかった気がします。

今度はもうちょい人を巻き込んで、ネチネチ世の中にDeepImpactする行為を模索していこうかなと思っております。打たない弾は当たらないですからね。

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