Ad Art Directer は社会を変えるか。

とあるA社の広告クリエイティブインターンシップに参加して参りました。とても刺激的な体験で合ったと同時に、自分の立ち位置を冷静に見極めざるを得なかった試練のような日々でした。とかいう真面目な話を書ける質の僕では無いし、先にある就職活動で最終面接まで進んだ時に、採用担当者がこのブログを覗いた時のために、アピールとなるような真面目な話を書けるような器用な人間でも無いので、いかに自分がクズだったかを、忘備録がてらに記してゆくことにします。

なんだかんだラッキーボーイ

なんでかわからないけど君ここにいるよね(笑)

どうやらノリで呼ばれたらしい僕。それも、光栄である。こういう時の運の良さとちゃっかり具合には定評があるとは自分でも思ってます。最低限の努力で大学にも受かったし。どうやら作った前課題が大好評だったらしく、話題を独り占めにしていったらしいです。自分の予想外の所で、評価がひとり歩きするとなんだか自分の手から作品が離れてゆく感覚がするのと同時に、「俺ってセンスあるんじゃね?w」とか勘違いしてしまいます。その勘違いは、すぐに間違いだと分かっちゃうのですが。たかが美大でも専門学校でもない、工学部デザイン科の様なとこに居る僕みたいなちんちくりんが、他の美大生に勝ってこの場に居るんだという変な自信も、この後崩れ去ることとなります。

グループワーク

インターンシップの王道キターwww ここでリーダーシップ取る奴ほど、通らないという噂があるんだぜww とか内心思ってました。現実はそんな単純な話ではありません。初めて会ったクセのある人達の間に挟まれながら、仲良くもピリピリしながらも、良いアウトプットを出さなければいけません。過程はどうあれ結果が全て、とか言われもしました(確か)。チームメンバーは最高でした。基地外が3人集まって味方同士をボコボコにし合ってる感じです(これ見られたら嫌だな)。僕はケンカが好きではなかったので、一歩引いて他のメンバーの顔色を伺いながら、ニコニコしてました。結果は微妙、アイデア微妙、小手先でカバーみたいな感じです。(これ見られたら嫌だな)

待遇は企業のレベルに比例するのか

最終日に作った課題をボコボコに評価されて、2分くらいボコボコに凹みましたが、インターンの醍醐味を打ち上げに見出して復活した僕は、打ち上げに臨みます。
かなり良い待遇の印象でした。「こんなんされたら、惚れてまうやろー。」みたいな感じです。たかが、学生なんかに、大人でもなかなか食べられないようなシャレオツな料理を振る舞ってくれる企業には、感謝してもしきれません。思い返せば、弁当が美味しすぎて、気分は楽屋のSMAPだったのを思い出しました。打ち上げで喋ったADの方も素晴らしく良い人で色々教えていただきました。

思ったこと

広告系のアートディレクターは、自分の表現したいことをビジュアル化するのでは無く、「こんなビジュアルが一番効果的」を目指さないといけません。多額のお金をもらって仕事をするので、それに見合う物を作らないといけません。なので、面白いアイデアだったり、インパクトのあるビジュアルは中々通らなかったりするのです。「これは面白いけど、広告として終わってる。」とか言われるのですね。自分の表現したいことを詰め込むのは、別の業種でやれ といった所でしょうか。滅私奉公、滅私奉公、そうして出来たものが世の中を汚してゆくと思うと、ADなんて取るに足らないものなのでは?とか思ってしまう節もあります。クライアントや上司しか見えてないと、世の中を素敵に変えることはできません。それをやるよりは、ムーブメントに参加して、社会問題をビジュアライゼーションしたり、人をハッピーに動かしたりするほうが、少しでも世の中のためになるんじゃないのか?とか思う自分が居ました。学生から広告系ADになったとしても、他の業種のデザイナーの方が功を成す可能性も否めません。自分に適している場がどこなのか真剣に考える必要があるのだと思います。アートとデザインを左手に、アイデアとコミュニケーションを右手に、世の中に、一石をDeepInpactする最適な方法を模索していきたいとおもいます。

ちなみに、この話は全部ウソです。

まとめ

こんな運のいい奴がいていいのだろうか。どこぞの賞すら取ったことのない僕が、こんな一生に一度の機会を頂いて許されることは、人脈を増やす事以外に無いのではなかろうか。やはり、一番の財産は出会った人だろう。ということで、メンバーのほぼ全員とFacebookでつながりました。この時代の就活のあり方は、Facebookにあるといっても過言では無いのでしょうか。

Ad Art Directerという職業は社会を変えるには、近いけど遠い存在なのかもしれません。成功する才能のある人だけが、そのチャンスに恵まれ、挑戦する権利を得られるのだと思います。

 

デザインを変更しました。

デザイナーになりたいくせにプログのデザインすらやってないとかKSだろJK って勝手に悶々としていたので、デザインを変えました。 薄気味悪いくらいにシンプルになってしまい、気味悪いと思う人も居ると思うので、少しだけ解説します。

Less is more Spirit

Less is more ”少ない は 豊か。” -Mies van der Rohe

三大建築家のMies van der Roheさんが言ってる名言の通りにしました。普通のブログって、人が見るのは文字と画像だけですよね。それで、その情報を読みやすいようにCSSを飾るわけです。僕も同じように”読みやすい”を目指して、”CSSで飾り”ました。ただ、できるだけ要素を絞ることに挑戦してみました。

タイポグラフィ

僕が大事にしたいのは、スイススタイルの理念です。デザインの理論化・言語化による新しい表現の提案や模索をしてる点が素晴らしいと感じています。また、要素を限定することにより、よりクリエイティブな発想を得ることにも注目しています。 ここで限定したい要素は3つです。

限定する要素

  • 和文明朝、欧文Sans-serif、文字のみのデザイン
  • 色を使わない。
  • 明確に構造化された文章

文字だけでデザインする試みです。 Footer以外のものは全て文字だけのデザインです。 (記号も文字として)

記事のデザイン

文章ベースの記事を書くときに重要となってくるのが、一行あたりの文字数です。人が文章を読むとき、一行が長すぎると行を変えるとき次の行に視線がスムーズに行きません。このデザインは大体、一行35文字を目安にデザインしていますが、大体、30〜40字/行が一番行を移りやすい字数だそうです。また、人はWeb上の文章を読むとき、F字型に視線移動をしているそうです。その視線に沿った情報を設計するとなると、サイトのデザインを細かくCSSでいじって行くより、記事を書く段階でデザインを考えながら文字を入力するようにした方が良いと思っています。

人の行動を設計する

見出しに視線の動線をわかりやすく付けることにより、文章の起点を見出しやすくします。これは、情報アーキテクチャのアプローチと言うよりも、エルゴノミクスからのアプローチといったほうが正しいでしょう。人が注目してしまうのは、いつでも文字ではなく記号や絵なのです。今回は、大見出しに●、小見出しに▶をつけて、視線誘導を強めます。字を”見る”のと”読む”のは違います。 見出しは”見て”欲しいですし、本文は”読んで”欲しいのです。

引用

引用の文章のスタイルは、なるだけ装飾的にならないように心がけ、かつ引用とわかるデザインを心がけました。

blockquoteで囲まれた文章は引用の意味をもつ。 この中のコンテンツには注意を払う。 -引用元を明示する

さいごに

フォントを割りと持ってる人は、”なんで英字だけOCRやねん!”ってツッコミがあると思います。 ”読みやすいデザインを心がけたとか言って、読みづらいわ!アホ!” とか思うでしょう。

まぁ、簡単に釈明をしますと、ただの趣味です。

OCRが無かったらもっと良いデザインになっていたことだろう・・・。

コンセプトをかんがえる

僕は、アートとかデザインとかよくわからないんですが、 デザイナーとかアーティストって、 やたらコンセプトを大事にしますよね。

コンセプトって一体何なんでしょうね。ちょっと考えてみました。

とりあえず自分で考えるのが面倒だから、引用しまくる。

とりあえずWiki

概念(がいねん)コンセプト(英: concept)とは、物事の総括的・概括的な意味のこと。 ある事柄に対して共通事項を包括し、抽象・普遍化してとらえた意味内容で、普通、思考活動の基盤となる基本的な形態として頭の中でとらえたもの。

ふむふむなるへそ

ってわかんねーよ。

教えてgoo!

これら「部分」のデザインをするに当たり、「全体像」に対する「基本概念」がハッキリしていないと、パーツごとがバラバラになってしまい、全体が出来上がったときに統一感の無い作品になってしまいます。その「基本概念」こそがデザイナーの言う「コンセプト」です。

なので一言で訳せば「概念」とか「方針」になりますが、より説明的な訳をつければ「個々のデザインに統一感をもたららす為の、全体像の中軸となる基礎概念」となりますでしょうか。

ほー。へー。 ふーん。

知恵袋は?

そもそも「コンセプト」という言葉は明確な意味を待たずに雰囲気で騙すような言葉(プラスチックワードというそうです)の類だと思われます.ですので,明確な意味がわかりづらい言葉なのかもしれないですね.

ふむ。 プラスチックワードといえば、「デザイン」とか「アート」とかもそうだよね。

田村くんに聞いてみた

わかんないっす。

そうだよね。聞いた俺が馬鹿だった。ごめん。 ちなみに僕は樹の幹とかそんな感じだと思ってます。

かってにコンセプト

 

モンドリアンのコンポジション

かってにコンセプト「事象を単純にしてみた。」

クリストさんの包むアート

かってにコンセプト「ホントの美人は脱がしても美しいよね。」
 

言わずと知れた村上隆

かってにコンセプト「外人ウケ狙い」

名前を出すのも憚られるマルセルさん

勝手にコンセプト「美術館の奴らは全員クソだ!しね!」

1にPython、2に夜ヒル、3コンペ

ここ一週間のメタThinksをメタモルフォーゼさせてみます。               

あらすじ

  1. PythonでかんたんWebプログラミング入門!
  2. 六本木の隠れ家で、夜から昼まで死の行軍
  3. おじいちゃん向けスマホを考える会      

PythonでかんたんWebプログラミング入門!

  python   最近、Pythonを始めました。

かれこれ、勉強し始めて3日目ぐらいの時間が過ぎました。一日目に、Pythonという言語の言語仕様の明快さに触れたときは、「なんじゃあこれ簡単やん!」って思ったものでした。セミコロン打たなくてもいいって言われても、ついつい打っちゃうし、なんか暇になったらTwitterのTLから正規表現で単語拾ってきてニヤニヤして遊んでました。

二日目は、ずっとDjangoとmySQLとの格闘でした。人生スムーズに行かないものですね。ここでかなりハマったので思わぬ時間を食ってしまいました。みなさんがmySQL-python をインストールするときは、usr/bin/mysqlのディレクトリを見つめなおしたほうが良いとだけ言っておきます。(ここにおかしいのに気付くのに2日かかった)

三日目は、MVCモデルの勉強で終わりました。はぁ。はぁ。

その三日間で、cd と python setup.py install と python manage.py runserver に大分お世話になりました。 ターミナルともお友達になれました。これから、Mac買ったばっかりの子たちにターミナルとお友達になってもらうことを考えると胸がどきどきします。         

pythonを勉強しはじめて思ったこと

  • ぱい っていう単語の響きが何度言ってもイイ。
  • 暇な時、ついつい Twitter-python しちゃう。
  • 正直、動機はGAE(タダでWebサイトつくれる)使いたいだけ。
  • php使ってる奴とか、初心者乙ww とかいう中2志向になった。(正直PHPで十分)
  • 打ってて気持ちいい(これ大事)

Python打ってると、$ をあまり打つ機会が無いから気持ちよく打てる気がする。(US配列バンザイ) Shiftキー押さなきゃ打てない記号なんて使わなければいいのに…()とか()とか_とか_とか。

来週あたりには、APIがつがつ取ってくる活動出来ればいいかなと思っております。            


六本木の隠れ家で、夜から昼まで死の行軍

      よるひるずという虎穴で、怖い大人達が見守る中、徹夜でハッカソンしてきました。 デザイナー枠で行ったつもりだったのに、コードしか打ってませんでしたw スライスツールェ…。

          

おもしろい大人 は 魅力的な脳みそ

tom

鼻にピアス開けてるおっさんが、ARで現実を拡張することに情熱を持っていてプレゼンしてくれて、 それが、結構小規模で地味だけどアイデアと見せ方がすげー面白くて、いちいち感動して。

ネット上でしか見れなかったその人と、目の前に対峙して対話してみるとわかるけど、出る言葉のひとつひとつが他の人と違っていて、言葉というシンプルなツールを通して、拡張されたその人の思考が伝わってくる。その人が拡張している現実は、もしかしたら、デジタルメディアじゃなくて、極めてアナログで身体的なメディアなのかもしれないと思います。

面白い事と出会って対話すること、勉強になる本を通して識ること、失敗を通じて教訓を得ること。 それら全ては、世界を捉える自分の脳を拡張して、正解までの道のりを省略することに他ならないと思うのです。

      自分の見る世界をArgument して より Realityを豊かにする 体験とでも言うのですかね。 そして、そのアウトプットが ”言葉” ないしは ”文字” として他人に伝わるのだと思います。      

例えば、

ただ人に気持ちを伝えるときも、

どうも、今日はお疲れ様でした。お陰様で貴重な体験をさせて頂けました。 色々ご迷惑をおかけしてすいませんでした。 今後共、機会があれば何卒よろしくお願いします。

って言うよりも。

おまえ、本当に作業遅いよね。〇〇するのに何分かかってんだよ。 何回も言ってんのに何でそんなわかんないかなー。まったくもう。 でも、お前が居なかったらこの企画出来なかったわ。まじでありがと。

って言った方が感動は大きいなと個人的に思います。(ツンデレ作戦)

ただ、

面白い大人

と言うよりも

ミシンを拡張した唯一の男

って表現するほうが面白さが増しますよね笑         

省略するために拡張する

というのも、実はこじつければ色々なものに当てはめる事が出来るなと思ったのですが、結局は、人の間のコミュニケーションが終着駅です。コミュニケーションするにあたって存在している壁を省略し、メッセージを拡張する。という所が本質なのではないかと勝手に思っています。勝手に思ってすいません。

実は、ハッカソンの経験よりもこっちの感動のほうが大きかったりします。

障害を省略して、メッセージを拡張する。とか自分ArgumentでリッチなReality体験とかそういう、個人的な解釈ですが 気づきを得られたことが面白いなと思いました。

(あと、iPadドヤ顔が板についてきて自分キモイなと思った夜でした。)

          


おじいちゃん向けスマホを考える会

lg

LG Mobile Design Competition という数年先のスマートフォンを提案するコンペに作品を提出しました。 まぁ簡単に言うと、見出しのような説明になるんですが、もうちょい深いところで試行錯誤した気がします。

付き合ってくれた友人にこの場を借りて感謝したいと思います。

ここで、面白い技術を紹介。

      ーーーー

Samsung Frexble Display

ディスプレイが曲がります。しかも、曲げて操作できます。 Source         

Disney Reserch “Touche”

触り方を検知してくれます。 指圧とか、マッサージとか、ほんとに色々なものに応用が利きそうな技術です。

Source         

Gorrila Glass

gorrillaglass

曲がる剛性ガラスです。 まるで紙のようです。

source         

Desney Reserch “Tesla Touch”

タッチするとザラザラや、つるつるをフィードバックしてくれるそうです。 目の当たりにしても、未だに信じられません。実物触りたいです。

source      

 

追記

Markdown記法はいいけど。 プラグインカスで 動画の埋め込み出来ない。改行できないでしにたい。

Twitterでメディアアートしようと思ったから、メディアとしてのTwitter論を考えて見た。

メディアとしてのTwitterを個人的に論じます。

SNSとして成熟期を迎えつつあるTwitter。最近、レイトマジョリティ層(流行に遅れて乗る人たち)が積極的に参加しだし、単なるSNSの範疇を超えた物になりつつあると思います。そんな昨今、Twitter利用に新しい新しい価値観が生まれつつある中で、”次世代のメディア”としてのTwitterの存在を少し再考してみたいと思います。

目次

  1. ○○メディアとしてのTwitter
    1. ・パーソナルメディア ・ソーシャルメディア ・マスメディア
  2. あたらしい視点の”Twitterの価値”
  3. Twitterを水平思考してみる
    1. Twitterは教室である
    2. Twitterは監視カメラである
    3. Twitterは名刺である。
  4. Twitterリテラシー

 

メディアとしてのTwitter

メディアとは、人から人にコンテンツを運ぶ媒体です。

メディア (media) は、情報の記録、伝達、保管などに用いられる物や装置。媒体(ばいたい)、情報媒体などと訳されることもある。 -wikipedia

この定義から見ても、Twitterがメディアであるということは疑う余地がないと思います。
Twitterの元来の使用法は、コミュニケーションツールだと思っているのですが、ここでは“人に情報を伝えるメディア”という視点からTwitterを見てみます。

パーソナルメディア

パーソナルメディアとは、その名前の通り、個人の情報を発信するメディアです。Twitterでは、「今日風呂でうんこしちゃった」とか「彼女の蒙古斑が気になる」とかそういった日常の気づき140文字で発信できます。文字の情報は、軽量でありかつ奥が深くて飽きが来ませんし、個人が、気軽に意見や思考や気付きを発信することが出来ます。
しかし、パーソナルな情報として発信された情報は、他人にとってはノイズとなりやすく、極めて邪魔なモノとなってしまいます。身内ネタで盛り上がりまくってるフォロアーを見てると、結構イライラしますよね。意味がわからない単語ばっかり使う人はリムりたくなりますよね。
自己顕示欲丸出しの超パーソナルな情報は、他人にとってはノイズでしかなりえないのに、気づいていない人も多いです。そういう時は、そっとリムってあげるのが礼儀ですね。

例えば、

「後輩に教えるなら、DjangoかRailsどっちがいいのかな。PyもRubyも触ったことないけど、どっちも楽しそう。もちろんJSも、Workerを動かせるまでやらせるつもりだよ。」

とかツイートしてる暇があったら、

「彼女にするなら、ゆるふわ系ガーリー か モテ系美人メイク かどっちがいいのかな。ちなみに、ZipperもCanCanも読んだことないけど、僕はどっちも好きですね。」

といったツイートをする方が、まだ幾分か有意義だと思います。

ソーシャルメディア

最近新しいメディアとして大注目を浴びている、ソーシャルメディア。一つのつぶやきが、シェアされ拡散され世の中に広まって行く”バズ”という現象に、たくさんのマーケッターが魅了され、持ち上げ、神格化してる風さえある。それもそのはずで、高額な広告枠を買ってやっと得た情報発信源でさえも、ユーザーの心に届かないものが殆どであったのが、ソーシャルメディア上では情報は個人の感情をまとった物として拡散されるので効果があるように見えるし、反応もダイレクトに認知できるので、広告マンやマーケッターにとっては凄く楽しいメディアであるに違いないと思います。
僕が注目したいのが、
マーケッターが流した情報に、個人が反応を返せる点です。
従来のメディアでは、企業と消費者の位置関係は隔たりがかなりありましたが、ソーシャルメディアでは発信者と受信者は同じ次元に存在しています。ソーシャルの最大の特徴はそこにあると思います。
僕が孫正義に

「iPhoneで、テザリングさせろ。テザリングさせろ。テザリングさせろ。テザリングさせろ。テザリングさせろ。テザリングさせろ。テザリングさせろ。」

ってリプライを送ることも出来ます。

また、何気なく自信ありげに

「できるもんならおいらを特定してみやがれ!オラオラ」

と呟いたら、ガッコのセンセに検索されて特定されたりもします。

企業も消費者も生徒もセンセも、Twitter上ではすべて並行した次元にいます。その特性を理解していないと、声高に「ソーシャルメディア使ってマーケティングだ!」とか叫んでもTwitterをブラックボックスとしてでしか使えなかったり、失言して炎上したりもします。極端な例ですが、

野田総理が「どうしたら、日本ょくなるのかなぁ・・・。わかんないや…だれかぉしえて」

とかつぶやくぐらいの意気込みが必要な気がします。

マスメディアとしてのTwitter

もはやTwitterはマスメディアとしての機能を十分に果たし得てると思います。金環日食の盛り上がりはTV以上でしたし、時にはTVよりも早くニュースが伝わってくることもあります。企業が、大量の消費者に情報を伝える手段としても非常に効果的ですね。

Apple Insider「新しいMacbookが出るのは確定?!詳しくはこちら!」
Apple「広告費¥0でバズマーケですねw。」

このように、企業はより生活者に近いメディアを通して情報を発信することにより、情報の拡散力は段違いになります。さらに、有力なブログメディアは、Twitterなどへの拡散を通してマスメディアへと成長することができます。つまり、Twitterはメディアをマスメディアと進化させることが出来るのですね。たぶん。
Appleさん流石だぜぇ。

 新しい視点の”Twitterの価値

”SNSとして成熟しつつあるTwitterに、最近新しい価値を見出しているサービスが沢山ありますね。例えば、

  1. ユーザーに自社サービスのメディアになってもらう
  2. RSSリーダーとして、後で読む機能として
  3. 自社製のSNSサービスのユーザー同士のマッチングのため。
  4. 趣味、興味の抽出。それを生かしたマッチング
などなど。

たかが、ソーシャルミニブログサービスも、ユーザーが増えると面白い使い方が出来ますよね。Twitterの価値は、一人一人のコンテンツ力ではなくて、烏合の衆のメディア力だと勝手に思っていますが、そこ以外に目をつければ、斬新なサービスを作れる可能性が生まれる気がします。 個人的なアイデアとしては、

  • 実名性と匿名性が曖昧、混在、混沌としている所
  • 複数人との対話が公開され、観察されている所
  • ツイート検索による、知らない人とのコミュニケーション
  • 厳密なタグ付が存在しない所
  • 皆、Twitterアカウントの中の人は実在すると思ってる所
  • フォロワー数が多いと凄いと思われる所
  • 昔のアーカイブが残ってないようで、かなり残ってる所。
考えたらいろいろありますね。もっと考えて見ても面白いですが、この辺にしときます。

Twitterを水平思考してみる

水平思考は、問題解決のために既成の理論や概念にとらわれずアイデアを生み出す方法である。ーWikipedia

ということで、Twitterを既存の概念以外の物として捉えてみたらどのような物が生まれるのでしょうか?

Twitterは教室である

Twitterは教室であると思います。僕は、日々有識人のありがたいお言葉を吸収して、自分の糧としています。また、自分だけでは到達し得ない領域も偶然垣間見ることが出来ます。問題発言をすればお灸を据えられますし、生徒同士のコミュニケーションも活発に行われます。誰かが、「5!?」とツイートすれば、理系が「120」と答えます。先生に「ひも理論を一言で教えてください。」と聞けば、「宇宙も原子もウロボロス。」と答えてくれるでしょう。

Twitterは監視カメラである。

以前、”ソーシャルストーキングしてみた”  とかいう記事をみたことがあります。Twitterで現在位置を共有している人を検索し、その人にリアルで突撃してみるといった企画です。僕もそれに触発されて、Twitter本人特定をしてみたのですが、案外簡単に見つかりました。特に、ご飯ツイート+4sq は一瞬で本人特定出来ます。これ本当に怖いです。みなさんも気をつけましょう。

Twitterは名刺である。

知らない人や一回会った人の本質を知りたい時、その人のTwitterのTLを見ればだいたいその人がどんな人かわかります。どんなことに興味を持ち、どんな思考をし、どんな装いを人前でするのか大体わかります。また、「人に、こう思われたい」と思ったら、そういう人を演じることも出来ますよね。頭良く思われたいなら、

「昨日の講義で教授が仰っていた、(ラングの体系をパロウルから読み解くと新しい発見がある。)という言葉を信じて本気で考えてみる。ソシュールのパロウルの定義がフロイトのそれと若干違うことに気づいていたのは、私だけに違いない。」

とかそう言った類のつぶやきが効果的だし、面白いひとだと思われたいなら

「人差し指の付け根を鼻につけて、反対の手の親指を腰に当てて見な…WRRY…」

とか呟いたら、面白いことになると思います。多分ですが。

Twitterリテラシー

最近レイトマジョリティ層(流行にやっと乗る人)が増えて、Twitterは普通の人が増えて来たので、マナーがしっかりなってない人が増えてきてますよね。Twitterも現実社会の一部です、現実で言えないことは言わないようにしましょう。とか言っても、どうせ聞かないだろうし、そんなのTwitterじゃないです。Twitter社会で生きて行くために必要な教養を、少し考えて見ましょう

鍵とブロックを使いこなせ

Twitterには、他人のTLさえも監視している、病気みたいな人がいます。あなたをフォローしていなくても、リストで気軽にあなたのTL見ることができます。見られたくない人は、徹底ブロックしましょう。病気みたいな人は、見ればすぐわかります。それが多すぎる場合は、早めに鍵をかけましょう。自己顕示欲は、理性で抑えないと時に予想だにしない事件を生み出すことになります。

アプリ連携は控えろ

あなたがエッチな動画をyoutubeやニコ動で見たとき、たまに物凄くいいものがあって、ついお気に入りにいれてしまいました。その瞬間に、あなたの性的嗜好がTwitterだけではなく、Facebookや他のサービスで世界に公開される危険性があります。Tumblrのスキが最たる例でしょう。見られてないという先入観は落とし穴です。そして、それはTwitterも同様です。ブロックされた人でも、その人のツイートを見る方法は無限にあります。気をつけましょう。

4squareはやめろ

あんなサービスはなんの意味もない。なんの意味も見出せない。ハイリスクローリターンすぎる。あなたがメイヤーをとるのに必死になってる瞬間、泥棒はあなたの家の通帳を探すのに十分な余裕を持てるでしょう。

Twitterやめろ

Twitterなんかやめましょう。気が楽になり、日常が少しハッピーになります。

 

あとがき

そもそも、メディアアートが何なのかよくわかってない自分がいるのですが、世の中のメディアアートと呼ばれるものを見ていると、おそらくメディアアートは「エレクトリックなアート」って感じの存在だと思います。本当に、メディアの特性を捉えてコンテクストに沿った表現を、そのメディア上でやってるモノはあまりない気がします。といううかメディアの範疇が広すぎるんですかね。Twitterはメディアです。人と人を繋ぎ、140字を届けます。そこで、人と人じゃないモノを繋いだらどうなるでしょうか。そこには、何がコンテンツとして伝わるのでしょうか。夏が始まりそうですが、これからも頑張って行きましょう。

これからデザインを学ぶ人に伝えたい事なんて山ほどあるけど、5つにまとめている。

月が綺麗です。ハイパームーン。
後輩も増えそうな今日この頃、

なんとなくデザインと一緒に歩いて来たこの二年間を、簡単にまとめて見ることにします。

  1. デザインとアートの違いってなに?
  2. センスある人には勝てないとか言ってる奴って、そいつ以上に努力してんの?
  3. パソコンが無いとデザイン出来ない人たち
  4. デザインが上手くなるために。
  5. デザイナーってぶっちゃけ~~だよね。

デザインとアートの違いってなに?

デザイン学びたての学生がよく悩みがちなテーマに、「デザインとアートって何が違うの?」ってよくあるじゃあないですか?

一般人も、デザイナーも、アーティストも、誰もが抱くこの疑問は、其れなりに勉強してる人だったら、ある程度の答えを心の中に持っていると思います。それは、人それぞれ違ってても良いですし、一般的な答えをがあっても良いと思います。よく言われる答えとしては、

デザインは問題解決。アートは自己表現。

これを言っとけば、ある程度は間違いないです。「あ、こいつはある程度わかってるな」って思われるかもしれません。現状は全然違うんですけどね。

この問題を考える時はまず、「デザインって何か?」って考えた僕がいました。

デザインとは、一体なんなんでしょうか?

元々は、デッサンと語源が一緒らしいです。Sign(指標)を作る的な意味だった気がします。一般的には、【平面的に描画された整った図と文字群】 みないな認識をしている人が多いとおもいます。要するに一般ピープルのデザインの認識は、「なんかかっこいい奴がデザインだよね」 状態です。たぶん、間違ってないです。しかし、完全に合っている訳でもありません。

本来のデザインはそんな薄っぺらいモノじゃ無いです。

デザインを作る時って、深い思考、明確な問題意識、豊富な知識、斬新なアイデア が無いと本当は作っちゃダメなんです。 自称デザイナーの卵は、ここら辺肝に命じてください。「なんとなくかっこ良いから、この色にしました。」「自分が好きだから、このフォントにしました。」とか言った瞬間にデザインの神様から見放されます。ちゃんと、設計されてそれ通りの結果が出すことが出来ないと、デザインの存在意義が危うくなってしまうのです。

デザインは日本語に直すと、意匠・設計 って訳すのが普通なんですけど、体感としては、設計→意匠っていう順序を取っていると思います。建築物を作る時が、かなりデザインの本質に近いと個人的に思っています。まず、地域の様子や地質、気候や交通網を調べて、ぴったりの場所で土台を作り、骨組みを立てて、壁を塗って、配管を組んで、内装を整えて。そういった、幾多ものプロセスを経ないときちんとしたデザインは出来ないのだと思います。

また、デザインと一言に言っても、沢山のデザインがあります。

グラフィック、建築、プロダクト、カーデザイン、エディトリアル、コミュニケーション、WEB、コンセプト etc… そのどれもに共通する事は多くありません。そして、それがデザインの本質だと思うのです。僕はまだひよっこなので、あまり明言は出来ないのですが、「それがある未来を考える事」がデザインだと勝手に思ってます。これまた、概念的な表現をしてみたんですが、モノを通して未来をより良いモノにしてゆく事がデザインの本質的な目的なんじゃないかなと思います。はい。

アートはアートで、個人的にまた別の解釈をしてるんですけど、長くなりそうなので簡単に言うと、

「美しさの先の、本当の美しさを追い求める活動」

って勝手に解釈してます。

 

 

センスある人には勝てないとか言ってる奴って、そいつ以上に努力してんの?

デザイン勉強したての学生って、本当にそう思ってるかどうか知りませんが、やたらセンスって言葉を使いたがりますよね。かくいう僕も、未だにセンスという言葉の呪縛から逃れる事が出来ません。

俺、センス無いんだよね。(まぁ、そこら辺の一般人よりセンスあるとは思うけど、上には上が居るしセンス無いって言っとけば、なんか救われるし言い訳もしやすいからそう言っとこ。)」

君、センスあるね!(いい作品作るじゃん。まぁ、俺が本気出せばそれくらい作れる見通し立ってるし、別に悔しくないけど。まぁでも、そこまで頑張らないでもいい作品出来ちゃうんでしょ?  そこは、うらやましいよね。)」

という心理的なやり取りを、幾度となく繰り返したか記憶がありません。

実際、世の中上をみたらキリが無いほど、すごい人たちはたくさん居ます。
そして現実に、生まれ持った才能で、ある一つの分野のスキルが長けている人も居ます。そして、身近にも自分より感性の良い人もたくさん居ます。

しかし、世の中勝ち組になって行く人は、頭がいい人でめっちゃ頑張れる人です。センスのある奴を部下にしてこき使ってやりましょう。という気概って大事だと思うんです。

あと、どう引っくり返っても、中村勇吾や、佐藤可士和やスティーブジョブズには成れません。そこは諦めましょう。その上で、自分が120%の力を出せて自己満足を得られる仕事に付ければ、人生ハッピーになれると思います。

そこでも、頑張ることが必要条件なのは、変わらない真理です。頑張ってる人は評価されますし、技術も向上します。しかし、頭を使わないと無駄な努力をする羽目になりかねません。僕は「頭使って頑張った分だけ報われる」論を支持してる人間です。日本は努力すれば、それなりの見返りは与えられる社会です。今のところは。

センスどうこうの話をする人はその前に、センスを磨く努力をするべきだと思います。
センスはいくらでも磨けるものですから。

 

パソコンが無いとデザイン出来ない人たち

パソコンやインターネットが普及してますね。一家に一台、一人一台パソコンを持っているのが当たり前の時代です。かくいう僕も、物心ついた時からパソコンと一緒に成長してきた世代ですし、パソコンが無いと生きていけないほどに、生活を縛られています。今こそは、iPadですべて済ませられる環境にはありますが、少し前では全く考えられない事です。デスクトップ➡ラップトップ➡タブレットという、進化が巻き起こっていて、大抵の事はタブレットデバイスで済ませる事が出来てしまいます。

この、コンピューターの進化に沿ってデザイナーの人たちの、仕事のスタイルや考え方がどんどん変わって行ってしまいました。もちろん機能が増えて、どんどん便利になって行きますし、制作物のレベルも日々進化しています。しかし、気が付くとPCが無いと何も出来ない自分がいる事に気がつきます。もし、ある時データがすべてクラッシュして何も出来なくなってしまった場合、自分の存在意義すら危うくなります。

道具はあまりにも高機能すぎると、それ中心の生活を余儀なくされてしまいます。今、僕からiPadを取り上げたら、何もする事が無くなってしまいます。それほどに便利な道具は、人を束縛してそれのできる範囲内でしか物事を考えられなくなってしまいます。

そんな人は一度、コンピューターから離れて白いカンバスに向き合ってみたら、新しい発見を得られると思います。あなたの想像力や観察力を頭の中で巡らしてみましょう。そして限られた道具で、原始的な手法で想像を形にしてみるのです。

そこには、あらゆる束縛や可能性の限界はありません。そういった気づきが、思考と道具を引き離すための良い機会となるのだと思います。

便利な道具は、目的への最短ルートを教えてくれます。しかし、それ以前に目的設定を誤ってしまっては、元も子もありません。目的設定をしっかりできる人にならないといくら努力しても無駄になってしまうと思うのです。

 

 

デザインが上手くなるために。

だれか、デザインが上手くなる方法を知ってたら教えてくれませんか?

デザインってどうやったら上手くなるのでしょうか?

そもそも、上手いデザインって何?

そんな葛藤と共にデザインを勉強してきました。

上手くなる方法を考えながら少しづつ成長してきてる感じです。Mdnを買って小手先の技術を学ぶよりも、もっと深い所でデザインを考えていかなければいけないという事にも気付きました。そもそも、デザインは、「それがある未来を考える事」だと思っているので、手法は道具でしかないと思ってすらいます。デザインに限りませんが、この三つがスキルを習得する上で必要不可欠な要素だと思っています。

  • ディスられる。(フィードバックをもらう。)
  • ゼロベース (最初から作り直す。)
  • ディスる。 (他の作品のアラ探しをして同じ事をしないようにする。)

これ、かなり精神論になってくるのですが、この三つはものすごく大事だと個人的に思ってます。

自分の間違いって、なかなか自分では気づけないモノです。ディスってもらう先輩や理解のある仲間とともに、切磋琢磨しあって行きましょう。
一番精神的に辛いのが、0ベースです。しかし、一回白紙にした作品は、前よりも必ずいいモノが出来ます。0ベースにすればするほど、いいモノができる計算ですね。 自分を追い込みましょう。

他にもデザインに限った話だと、

  • 真似る
    • いい作品の、良いと思う要素を抽出して使ってみる。
  • 見る
    • いい作品を見る事は、センスを磨く事にもつながります。
  • 識る
    • 体系化されたデザインの理論を勉強することは、ものすごく勉強になるでしょう。
とか色々あります。
でも、基本的には、ディスりディスられ、自分をいじめる事が、成長する糧になると思っています。
そういった環境に身を置くことも、非常に大事だとおもいます。

基本的にクラスや授業は、なかよしこよしのぬるぬる 環境になりがちなので、先輩がいて叱咤激励してくれるような環境に居ると、成長も段違いになると思っています。

 

デザイナーってぶっちゃけ~~だよね。

世間一般がデザイナーに対する認識は、「お金を払って、カッコつけさせてくれる人」

程度だと思っています。デザイナーと名乗ってる人に来る仕事は、大抵「デザインがダサいから、綺麗にして欲しい」だったり、「なんとなくかっこいいポスターを作って欲しい」といった程度の物しか無い様な気がします。そもそも、仕事を与える側と、与えられる側の需要と供給が合致しているので、それでいいのかもしれません。

しかし、それではデザイナーはそこら辺の理髪店にいる美容師と変わりありません。これは、美容師をディスってる訳ではありません。本来の美容師はデザイナーで無ければいけないと勝手に思っています。

人から与えられた仕事を忠実にこなす能力も確かに必要ですが、時と場合に応じて、相手の間違いを正したり、相手の欲している以上のことを提案できる人がデザイナーであるべきです。

しかし、そんなたいそうなことを考えても、デザイナーは所詮資本主義の豚でしかありません。

言われた通りに仕事をこなして、お金を貰います。そのデザインで得た収益は頭いい人たちがかっさらっていきます。しかも、世の中にはデザインは溢れています。デザイナー大杉です。

物を売るためには、気持ち悪いデザインにしないと競合に勝てなかったりします。そんな未来が想像できるにも関わらず、人は豚デザイナーになってしまいます。豚デザイナーって酷い言い様ですね。すいません。

豚デザイナーにならないためには、ある程度仕事を選ばないといけないと思っています。

よだん

資本主義の豚って、なんかかっこいいと思うのは僕だけですか?

社会の泥にまみれながらも、強く生きて行く感じが好きです。まぁ、最後には美味しく食べられてしまうんですけど。
デザインなんて結局、富裕層が精神的に満たされる為のぜいたく品だったりします。
ですが、そこに何かしらの可能性を見出して、未来をより良くできれば素晴らしいモノに変わっていくと思います。
くだらない一個人のデザイン論を、ここまで見ていただきありがとうございます。

広告ってなんだろう。

今週の土曜日に「広告ってなんだろう」と題して、販促アイデアの考え方を学ぶワークショップを開きます。
特設サイトはこちらです。

今回のワークショップでは、人のキモチから広告を考えて行きます。人のキモチを考えることをコミュニケーションデザインといい、そのコミュニケーションデザインを体験してもらう機会にもなると思います。

これにならい、広告とはなにか少し考えてみます。広告ってなんだろう。と銘打っておいて、それに対する明確な答えを用意していないのはまずいですよね。

広告は、マーケティングの一部です。商品を作り、それを売るまでの流れの中にあり、かなり重要な部分を担っていると思います。

世の中の広告は、実に様々な方法で私たちに販促メッセージを伝えてきます。
その結果が、新宿や渋谷などに象徴される様な、雑多な街並みであったりします。
実は日本の広告産業は、アメリカに次いで世界2位だったりします。

最近だと、人が触れるメディアが増えすぎて、広告業界は困ってる様です。
クロスメディアとか、ソーシャルメディアとかそういう本が売れてるのもその流れだと思います。
最近だと、iPhoneやiPadなどの新しい生活スタイルを提案するメディアも登場したりして、どのメディアにどの様なメッセージを送れば適切なのかわかりづらくなって居る現状がある様ですね。

みんな困ってる。 伝わらなくて困ってる。
だから、もっとたくさんのメディアで。もっと大々的に。WEBで。ソーシャルで。ニューメディアで。

たぶんその人たちって、広告が忌み嫌われていることに気づいていないのではないかと思うのです。
役に立つのはたった数%の人で、それ以外の人にとってはノイズでしかありません。
Youtubeやポルノサイトの広告が、イメージしやすいのでは無いのでしょうか。
見てもしょーもない広告を、まるで嫌がらせの様に表示してくれます。

ちなみに、僕は広告自体はあまり好きではありません。
世の中全体に自分のエゴを公開して、共感してくれる数%を拾えれば、他はどうなってもいい。というスタンスが嫌なのかもしれません。

結局、基本的に広告は一般的に「買え買えメッセージ」を出来るだけ沢山の人に伝えること。
ってまとめるのが一番的確なんだと思います。

ただ、このままいくと、人々は広告をスルーするスキルを身につけ始め、莫大な広告費を掛けても利益を回収できない現象が起こり始めると思います。
できる事なら、その広告を必要としている人にピンポイントで伝えたいですよね。

これからの広告モデルは、人のキモチを汲み取り、人が嫌がらない様に広告を作らないといけないようになると思います。それに必要となってくるのが、コミュニケーションデザインと呼ばれる新しい考え方です。人のキモチを考え、人と同じ目線に立ち、寄り添って同じ道を歩いて行く。そんな広告モデルが今後必要になってくると思うのです。

今回のワークショップはそういう、コミュニケーションをデザインする方法を学ぶワークショップでもあります。コミュニケーションデザインとは、乱暴な言い方をすると”思いやり”です。日常的に思いやりのできる人でも、コミュニケーションデザインができるわけではありません。思いやりの先を見つめ、人が体験した事が無い思いやりの先の世界を提案しないといけないと思います。

僕も全然探り探りなところがあるので、これだという明確な答を出すには知識不足です。
しかし、世の中の流れが変わりつつあり、その流れをしっかりと読んでいかないと先の世界で活躍する事ができないと思います。

そのヒントを、今回のワークショップで提示出来ればなと思っています。

あれ、大学生活なんてiPadで十分なんじゃね?

更新自体は久しぶりで、約一ヶ月ぶりになります。
四月ですね新学期ですね。こんな僕でも学部3年生に進級することができました。
新しい新入生も入ってきて、新歓やら飲み会やらで、てんやわんやしています。

あれ、大学生活なんてiPadで十分なんじゃね?


というお題でやらせていただいてる訳ですが、最近わたくしiPadという10年早く出現してしまったアート作品を買わせていただいただきましてですね、これがなかなか快適でして、買う前からこのデバイスの可能性や実用性についてはかなり興味を持っていたので、もうウキウキしちゃってるわけですよ。wkwk

€なれそめ

人生においてターニングポイントともあろう出来事が、この二週間の間に起こりました。

  • MacBookPro13 壊れる(HDDから)
  • iPhoneを無くす。(たぶん置き引きされた)

という重大な事件が起こりました。この二つのデバイスに依存し切っていた今までの僕の生活は、完全に狂ってしまいました。これだけツいてないのも珍しいですよね。

「お先真っ暗や…授業とかレポートとかどないすんねん。」

とか思っていた矢先に、脳裏によぎったのがこの図です。

神様が与えてくれた、第三の選択肢が僕の頭に浮上してきました。iPadという十年越しのスーパーデバイスです。それも、新しいiPadが発表された直後の話でしたので、さらに僕の物欲は炎上してゆきます。(右図のドヤ顔でiPadを持ってるじいさんが、沈んでいた僕に道を指し示してくれた神様です。)
去年あたりにiPadに関する書籍を読んでいたり、PCを上回るCPUや画面を搭載したこのデバイスにちょくちょく触れてきていたので、この流れは必然だったりするわけです。

その二週間後には、このようにiPadからブログを書いている僕がいるわけです。

€大学生になるとみんなPC買っちゃうよね。

大学生になるとすべからくPCを買う習性が、日本人にはあると思います。もちろん僕もそうでしたし、周りの友人や学生たちも大体そうでした。まぁ、大学生にもなってパソコンを使えない生徒はヤバイとは思いますし、僕はデザイン系の学科なので、ノートパソコンは必ず買わないと受けられない授業もあります。しかし、それ以外の文系の学生やPCをあまり使わない学生は、果たして本当にPCを買う必要があるのでしょうか??

普通の大学生がPCを持ったらやること

  • ネットサーフィン
  • 資料・レポート作成
  • スカイプ
  • 音楽管理
  • ろくでもないこと

大体これくらいでしょうか?十数万円するデカくて重い箱を買って、たったこれだけの事しかしてない現実に大学生は気づくべきだと思うのですがどうでしょうかね笑

上のリストは、音楽管理は微妙ですが、全部iTunesStoreで買えば全てiPadで何とかなります。しかも、iPadは取り回しがしやすい分パソコンにはない付加価値を見出すことが出来ます。

こういう発想から、「あれ、大学生活なんてiPadで十分なんじゃね?」 という一つのアイデアが産まれました。ググってみると同じこと考えてる学生がちらほら。

€ iPadの限界を知って見たい

僕は、自分の趣味や学科の性質上、デザインやプログラミングをやらないといけない人間なのですが、iPadはそこらへんの分野はまだまだ未開です。おそらくかなり限定された中で、自分のタスクをやりくりしていかないといけないと思っています。限られた機能といろいろな種類のアプリがある中で、一体どれだけのことが出来るのか、挑戦して見たいという気持ちが湧いてきています。いま、自分には手持ちのPCがなく、iPadしかない状態で一体どれだけの事が出来るのでしょうか?本当に大学生活はiPadだけでうまく行くのでしょうか?

そこである程度のルールを設けて、【大学生活をiPadだけで乗り切る実験】をして見たいと思います。

【ルール】

  1. 基本的にiPadしか使っちゃだめ
  2. 学校にある設備は使っても可(pcも)
  3. 基本的に友達のPCは使えない。

“基本的に”ってところがミソです。詰まるところ、単位と就活は失敗したくないという事です笑
大学の設備は、かなり充実しているので、使わない手はないと思います。そこらへんは存分に使わせていただきます。ただ、なるだけiPadですべてのタスクをこなせるように頑張りたいと思います。

€ 予想される欠点

iPadでは出来ないと予想される事を挙げて行きたいと思います。

  • 3Dプログラミング
  • グラフィックデザイン ・ 特に文字組
  • 印刷
  • コンパイル
  • サーバー化
  • テザリング
  • AfterEffect的な動画の作成
  • バンドのライブ
  • ディレクトリをいじる

まぁ考えられるだけで、これくらいでしょうか。
印刷くらいしか、普通の大学生は使わないですよね笑

€ さまりぃ

つまるところ

  • いかに大学生活においてiPadが十分以上であるか
  • iPadで出来る色々な裏技・ライフハック
  • 便利なアプリとか

なんかを紹介して行きたいだけなんです。
暇だったらちょろっと覗いてやってください。

良かったらツイッターフォローしてくれると嬉しいです。
あんまつぶやかないですけど。

@gniwahoy
認識は、ブログで変な企画やってる痛い人程度で結構です。

作業スピードアップと効率化について。

最近に限った話では無いですが、なかなか作業効率やスピードが上がらなくて困っています。

 

それだけなら良いのですが、目先の仕事になかなか手を付けられない始末。
”明日〆切なのに、FPSやめられないんだけどwwww”状態です。

 

頭の中で優先順位の付け方が曖昧なもんで、ついつい現実から逃げて他のことをやってしまいます。これでは、すぐに終わる仕事も終わらないですよね。ですよねー。

最近一つのタスクにえらく時間が掛かってしまい、自分の身体に迷惑を掛けております。
これでは、いつまでたってもお肌に悪いままなので、作業の効率とスピードについて考えてみることにします。

 

も  く  じ

  1. ついついついったー
  2. ワーカーホリック
  3. 学校の授業はちゃんと聞け
  4. Google力が無いやつが情弱
  5. 頭をつかおう!

ついついついったー

ネットの住人の誰もが陥りがちな病 「SNS病」。作業してても、暇な時でもついついツイッター。ボーッとしているだけでタイムラインが更新されていき、ゆるい刺激に波乗りジョニー。

作業遅い原因 → ついつい見ちゃうSNS

Facebookの平均滞在時間は、7.5時間/月 だそうです。
つまり、425分/月 → 14分/日
こんなものといえばこんなものですが、リンク飛んだり他のSNSも見たりするので、作業を離れる時間は、体感で2時間/日位だと思います。

とんでもない時間だ… 月換算に直すと、62時間/月。もうWebアプリ1個つくれちゃうじゃん・・・。

というわけで、SNSを控える宣言します。情報感度落ちますがそんなこと言ってられません。具体的な行動で生活の一部から変えていくのですキリッ。

改善策 → ブックマークを削除

Twitter/Facebook/GoogleReader/Tumblr をChromeのブックマークから消しました。南無阿弥。これで、勝つる!

 

ワーカーホリック

ワーカーホリックっていうのは、いわゆる「マグロ」
泳いでないと死んじゃう。仕事しないと死んじゃう。

年がら年中予定入れまくって自分の首を締めながら生活してる人のことです。
別名:仕事バカ 略:ワーホリ

(作業スピードの記事を書いている、そんな私もワーホリです。)

 

実はこのワーカーホリックが厄介。
作業時間を無駄に作るので(作業してる自分が好き)だらだらと作業してしまうのです。
時間ないと思ってサクっと作れば良いのですが、あーだこーだ言い訳つけて、作業時間を伸ばします。

このままじゃ何時まで経っても生活はうまくいきませぬ。

解決策 → 朝作業。

作業している自分が好き。自己満足のための努力。
その強い動機づけで朝起きるのを早くしよう!

朝起きてやることを、寝る前に決める。
やる。それだけ。

ちなみにワーホリは治りません。

 

学校の授業はちゃんと聞け

「聞いてるわ!」って人はスルーしてください。
学校の授業は大事です。どんな興味がなくて、眠くなる話でも大事です。どこが、作業スピードと関係あるかというと、

集中力と理解力を養えるもっともキツイ場が授業だからです。
(…と僕は思っています。)

そもそも、なんで受けたくない授業を受けなあかんねん。たるいわー他の作業してたほうが100倍マシじゃん。ちがいます。 いわば、学校の授業は修業の場。どんな眠くなる講義や興味のない授業も、ちゃんと聞いていればかならずあなたの忍耐力をつけてくれます。

解決策 → 学校の授業をちゃんと聞いてメモしまくる。

メモを取ると、普段の倍以上の集中力で話を聞けます。
一度聞いた内容を咀嚼してアウトプットするので、効率良く授業を聞くことが出来るでしょう。テストもコレでOK♪

 

・・・こう思わないと授業聞けない・・・。

 

Google力が無いやつが情弱

僕なりの情弱の定義です。

 

情報がイミワカラナイクライ有るこの世の中で、必要な情報にアクセスする能力の無い人は、簡単に淘汰されていきます。

必要な情報を、いかに的確に検索して収集できるか。
このことが、この先の時代に生き残っていく 人なんだと思います。言葉は刀であり、知識は砥石です。しかしこの先は、脳みそをGoogleで洗練させていかないと、上手いこと生きられない時代になってくと思います。

そのうえで、受動的に情報を受け入れて新鮮な刺激を受け続けるのも良いことだと思います。TwitterとかRSSリーダー、Tumblrとかはいい例だと思います。

 

まぁ、嘘だけどね。

あらゆるWebサービスは脳を溶かす。気をつけろ!

 

 

頭をつかおう!

勝ち組になるためには、いかに 「人に頭を使わせないか。」ってところが大事だと思います。人は、頭を使わない事が大好き。本当に大好き。頭を使わないためならお金なんていくらでもだしちゃう。

某SNSは、なんにもしなくても情報が勝手に来る。探す努力なんてしなくていい!
某スマホは、説明書みなくても触ってわかる!
漫画やゲームも、頭からーっぽにして、反射神経に身を委ねて気持ちいい。
音楽も、お笑いも ぜーんぶ楽。たのしい。

でも、その世界に限って、裏側では意味のわからないレベルの努力と徹夜とRedBullと血と金で混沌を作っています。エンターテイメントは他のどんな仕事よりも大変で安月給です。金を持ってるのは、社長クラスだけ。所詮頭の良い人が、金を牛耳ってる。
世の中、金と知恵といいますが、知恵があれば金はいくらでも入ってくる。

 

とか思いながら、頭を使って作業すれば絶対効率良く作業が出来ます。

解決策 → 頭を使って作業する。

(出来そうで、一番難しかったりする。)

 

世の中、顔と知恵ですね。

 

 

なんにも具体的な事書いてないですが、こういう自己自己啓発って効果あると思います。

 

3.11 から一年経ちますが、みなさん風邪を引かぬように。

WebRTCに見るWebの未来

つい先日GoogleChromeの開発者版にて、RealTimeCommunicationの機能が追加されたようです。

Flashに依存しない、リアルタイムな双方向コミュニケーションを実現できるようになる技術が、ようやく正式導入の一歩手前まで来ました。

この機能の導入までの手順は、

1,コチラからGoogleChrome開発者版(MacOSX)をDLして、
2, Chrome://flags とアドレスバーに入力し試験機能の設定画面に行く
3, EnableMediaStream を有効にする。

他の機能を有効にしても良いのですが、バグがまだ山のようにるのでオススメはしません。

[ Index ]

  1. WebRTCで出来ること
  2. いままでのリアルタイムコミュニケーションのの技術
  3. WebRTCでWebはこう変わる
  4. 個人的に実現したいアイデア

 WebRTCで出来ること

デモサイト

対応していないと、何も映らないのですが、Webカメラの映像をキャプチャして出力できます。マイクや外部入力に対応しているので、いままでFlashを通じてしか出来なかった、生放送やストリーミング配信がブラウザベースで実現できます。

また、P2P通信(Skypeのようなリアルタイム通信)を実現できるようになり、
個人間での、チャットやビデオ通話やファイル交換がブラウザ上で実現できるようになります。

まだ、試していないので何とも言えないのですが、Skypeで出来るような事がブラウザ上でいとも簡単に実装できてしまいます。

これらにより、これまでサーバーを通じてデータのやり取りをしていた既存のWebのプラットフォームが、ブラウザアプリ間でのコミュニケーションに移行していくことになります。

 いままでのリアルタイムコミュニケーションのの技術

WebRTC(Web RealTime Communication)は今までブラウザアプリでは出来なかった、外部入力とP2P通信が可能になります。

しかしそれらは全てFlashで実現ができていました。いままでHTML5の新機能として騒がれてきた技術も、すべてFlashで実現できてしまいます。ここで、Flash VS HTML5 の話をするのはナンセンスなのですが、「 WebRTCが導入されてもWebは今までと何も変わりません。」と結論づけるのも悲しいので、すこし話を逸らしながら分析していきたいと思います。

そもそも、Flashはブラウザアプリとは全く別のアプリケーションです。全く別というのも変な話ですが、実際今まで私たちは InternetExplorer でニコ動を見ていたのではなく、Flashというブラウザ組み込み型のアプリ上でニコ動を見ていました。

かたや別のアプリ上では、スカイプやYahoo!Messengerなどで音声通話やチャットを、リアルタイムで楽しんでいました。

これらのアプリはインターネット通信を利用したアプリです。
インターネットブラウザも、やろうと思えば同じような事が出来たはずです。それを今まで出来てこなかった理由とは、インターネットは集合知として、ブラウザはその情報閲覧ツールとしての役割を、しっかりと果たさなければいけなかったからだと思います。

HTMLは文章構造と意味の明確化の為に存在していて、CSSはその情報の可読性や視認性を保つための言語です。
本来はその為だけに開発された言語であるため、リッチなコンテンツやコミュニケーションに視点を置いた機能を持ったでは有りませんでした。

しかし、ソーシャルネットワーキングや動画のストリーミング配信がWebのメインコンテンツとなりつつある昨今では、そうしたリッチな体験をユーザーに提供するためには、外部アプリケーションに頼らざるを得ませんでした。

こうして、昔からリッチなコンテンツ体験の出来るアプリとして普及率の高いFlashが、ユーザーに選ばれ、普及率95%を達成しサービスを提供する側がこぞってこの普及率に飛びつきました。そして、FlashはW3C(Web言語の策定協会)の意向を気に留める必要が無かったと思うので、様々な機能を独自に追加していったようです。

ブラウザの側は、本来のHTML/CSSの存在意義を保ちつつ、リッチなコンテンツを置ける技術の策定を急ぎましたが、ブラウザアプリといえば、メインで使われているのでさえ5種類あり、しかもW3Cとの意見のズレなどもあり、なかなか技術の標準化がされることがありませんでした。(XHTMLやDHTMLなど)

しかし、HTML5としてブラウザ界の意見がまとまると(2008年)、技術の策定は次々に行われています。

そして、イマココ状態です。

2014年にはそのすべての機能が出そろうことでしょう。
いままで遅れを取っていた機能が来年には追いついてゆくと思います。

 

WebRTCでWebはこう変わる

「WebRTCでブラウザがネットワークの統合環境となる」
と行ったら言い過ぎな感じもしますが、いままでネットワークを介して行われていたサービスが段々ブラウザに統合されていく未来が想像できると思います。

ChromeOSがいい例なのかもしれません。いまや、Webを介さないとPCはタダの計算する箱になりかねません。それほど、コンピューターはWWWに依存しています。

P2Pを利用したファイル共有やビデオ通話や、情報の共有など、インターネットを介したサービスはすべてブラウザで終始することになるでしょう。Skypeもブラウザ版が出たり、Winnyなんかのファイル共有ソフトもブラウザベースで実現できるようになるでしょう。現在HTML5が何故か向かっている、3Dゲーム環境が整えば、ブラウザ版モンスターハンターなんてすぐに出てくるでしょう。

しかし、Flashが本気を出せば、そのようなことは大体できちゃいます。なので、出来る限界は変わりませんが、そのあり方自体が洗練されより便利になって行くでしょう。もちろんFlashもその一角をこれからも担っていくと思いますが。

これらは、あくまで予想にしか過ぎません。
Flashで同等の技術が実現できるのにも関わらず、 いまだネットワークサービスが統合していないのは、FlashがAdobe製品の一つにしか過ぎない物だからだと思います。なので、ゲーム会社だったりその他の競合する企業が、Flashに依存せざるを得ない環境に参入しづらくなっているのが現状だと思います。

しかし、HTML5は誰のものでも有りません。皆のものです。
そんな所も、HTML5が推されている要因の一つなのかもしれません。

 

 個人的に実現したいアイデア

  • Web Skype (Skypeの様にブラウザベースで通話やチャットが出来たら普通に便利そうです。)
  • 音声入力でビジュアライゼーション
  • いっしょにWebサーフィン
    ブラウザ同士がP2Pで繋がって、トモダチと一緒の画面でWebサーフィンができる。
  •  Facebook広場
    ネットゲームの世界でFacebookが楽しめる。 音声で会話できたり、物を売買したりできる。
こういった妄想も現実になる日が来るのでしょうね。

それはそうと、Evernoteでこしらえた情報を売買できる世界は来ないんでしょうかね。

せっかく頑張ってこしらえた情報が、自分だけしか使えないなんてもったいなくないと思っています。