編集とデザイン

先日、創刊から一年間所属していたフリーペーパー制作団体を辞めました。辛いことも楽しいことも為になることも色々経験させていただき、とても有意義な時間を過ごせました。みんなありがとう。これからも、頑張って欲しいです。

その団体では、アートディレクション・紙面の品質管理・Webなどなど、色々手と口を出しながらお仕事をこなして来ました。主に後輩たちにInDesignとタイポグラフィを教えることに終始した感じはあります。この時代においても、やはりAdobeソフトをいじれたり、Webサイトを作れたりする学生は希少種なようで、時には仕事人として、時には便利屋として、無償で色々こき使われたりしました。楽しかったです。

数々の有名雑誌が廃刊し、「雑誌はオワコン」と密かに囁かれる現代において、フリーペーパーというフォーマットをやる意味が自分にはあるのかと。そんなことを考える日々もありました。

この記事は、雑誌作りで勉強したことと、フリーペーパーというフォーマットについて。色々考えたことを載せます。この一年お勉強したことのまとめ。少々お付き合いください。

  1. フリーペーパーを創刊する(のを手伝った)
  2. 雑誌のコンテンツを考える
  3. 雑誌の紙面を作るときの、やることリスト
  4. 紙面のデザインをするということ
  5. 編集とデザインの カ ン ケ イ
  6. 雑誌の生きる道、死にゆく道
  7. ハイパーリンク VS ペーパーメディア
  8. まとめと謝辞

フリーペーパーを創刊する(のを手伝った)

「フリーペーパーを作りたいので、手伝って欲しい。」

そう頼まれたのが去年の3月の半ば頃で、その時は「よくある学生のフリーペーパー団体っぽいことやるのは嫌だなぁ」とか思っていて、最初は断ろうかと思っていました。しかし、「宇宙のフリーペーパーを作りたい。特に宇宙開発のホットな情報を高校生に伝えるもの。」と聞いた時。宇宙いいじゃん!宇宙!ターゲットも決まってるし、宇宙ってなんかいいじゃん!とか思ったので、やっぱり手伝うことにしました(笑)。宇宙ってなんかいいですよね(笑)。うん。

ものづくりをする時、どんなものをでも言えることなのですが、

  1. それが世の中に必要なのか
  2. それを作れるリソース(資源)があるか

この2つをクリアする必要があります。

① まずはじめに、何が世の中に必要とされているかということを考えます。ターゲット(相手)を設定すると分かりやすくなるのですが。例えば、宇宙に興味を持っていて、宇宙系のお勉強をしたい高校生が、宇宙開発の情報をわかり易く知れるようなフリーペーパーが存在していない!だから、それを作る。とか。これから作るものの、どの要素が世の中に必要とされているかを明快にすることによって、自ずと作る物のコンセプトが決まるかと思います。それが、ものづくりにおける、重要な柱となり最後までブレずに、良い品質のものを作ることができるのです。

② また、ものを作るにあたってリソース(資源)があるかないかは、当然重要な問題となってきます。自分で作れなければ、作れる人を誘えばいいし、お金で解決もできます。そして、それをどうやって作るか、どこまで作りこむか、など考えることは沢山あります。ソフトが無ければ、Adobeと悪魔の契約を交わせばいいし、スキルが無いなら、実践で身に付ければそれでいいのです。

雑誌のコンテンツを考える

雑誌のコンテンツの良し悪しは、8割型見出しで決まると言っても過言ではありません。見出しとは、その記事のコンセプトの簡潔な表れであり、人目を引くキャッチコピーでなくてはありません。良い見出しが、良い記事を形作るとも言えるでしょう。見出しから記事を作る場合も多いかと思います。

良い見出しを作るためには、目的とターゲットをシンプルにしないといけません。①自分が伝えたいことを、どのように受け取って欲しいのか、②その伝えたいことは、簡単に表現できるか。この2つをきちんと考えてさえいれば、良い見出しと呼べる基準をクリアするのは容易いことかと思います。見出しは、雑誌においてもインターネットにおいても、非常に重要なものとして扱われます。また、情報にアクセスする際の掴みとして、その記事のクオリティを左右する指標としても機能します。

雑誌のコンテンツを考えるにあたって、良い企画を考えることも大事ですが、よい見出しを生み出すことがそのまま記事のクオリティを左右すると言っても過言では無いでしょう。

雑誌の紙面を作るときの、やることリスト

雑誌が、小説や写真集などと本質的に違うところは、自己表現を省き、情報のまとめを体系立てて伝えるところにあります。つまり、デザイン力でも文章力でもなく、情報の編集力のウェイトが大きいのです。編集者は、ただの校正作業に留まらずに、様々な情報を幅広く取り入れて考えなければいけないのです。雑誌とは編集人がつくるメディアなのです。

雑誌の編集やデザインをしていると、既存のさまざまな雑誌を注意深く観察する機会が増えます。そのとき、プロが考えたりしている、雑誌づくりの大切な要素が少しづつ透けて見えてきます。

見出しから次のページをつなげる視線誘導・ページネーション、写真や図画の効果的な使い方や、斬新で面白いレイアウト。コピーや文章のタイポグラフィ・組版の巧みさや丁寧さなど、先人の努力と工夫から、様々な点で取り入れるべきところがあります。

編集者もデザイナーも、この訓練を日常的にしないといけません。審美眼と思考力の一番効果的な訓練は、既存の良いものの、分析と完コピであると僕は思っています。完成品から逆算をして、自分はどういうことを考えれば、そのアウトプットに行き着くことができるかを逆算することによって、実際の作品制作に応用することができるのです。

紙面のデザインをするということ

雑誌のデザインをするにあたって、注意しなければいけないのは、マクロな(ざっくりな)視点とミクロな(細かい)視点の両方を持たなければいけないところです。

マクロな(広い)視点では、読者がページをピラピラとめくった時、それがどんな記事でどう魅力的かを、すぐに分からせないといけません。その記事にまつわるキーワードを散りばめて、記事の要点を一瞬で伝えます。写真を効果的に配置したり、配色色や紙の種類を変えるのもよいでしょう。特集記事ごとに違った印象を与えなければいけません。ページごとに、文字の色やフォントを変えたり、写真の使い方やレイアウトを効果的に組み替えて、ページをめくる楽しさを演出します。

ミクロ(狭い)な視点では、文字組やアキ量設定を調整したり、記事ごとの視線の流れの誘導をしっかりと設計することを考えないといけません。ここは、デザイナーの力の見せ所ですね。泣き別れやぶら下がり、カーニングに合成フォント。デザイナーが知らないといけない知識はかなり多いです。ぜひInDesignを使って様々な細かい設定にトライしてみて、必要な知識を身につける必要があります。

編集とデザインの カ ン ケ イ

編集はデザイナーであるべきだし、デザイナーは編集者であるべきでもあります。編集は情報を体系だててまとめる役目、デザイナーは情報を整理する役目を担います。その2つに本質的な違いはさほどありません。バラバラの要素を整理して整合性を持たせて、ひとつのストーリーをつむぎ、読者にアクティブな感動を与えられるように工夫することが、編集デザイン(エディトリアルデザイン)の仕事であると思います。

これらの事をきちんと実践するためには、デザイナーは編集者の視点を手に入れないといけません。また、編集者もデザイナーの方法論を習得しないといけません。どのような情報のまとめ方をしたら、人の興味を引くことができるか、どのような言葉遣いをしたら、記事の内容に興味を持ってもらうことができるか。一つ一つのデザインに意味や狙いを持たせて、そのアウトプットをその都度自分の目で確かめないといけないのです。

雑誌の 生きる道、死にゆく道

雑誌は死んでいると言われて久しですが、本当に必要とされる情報が、きちんと編集されて人の目に触れているのであれば、どんなメディアであれそれは「Magazine」と機能すると言えるのではないでしょうか。たしかに、紙の媒体としての雑誌は商業的には終わりを迎えているのかもしれません。しかし、それはWebへと時代が移行して行く中で、雑誌の紙メディアとしての存在理由・アイデンティティを確立できなかった。わざわざ紙で読む必然性をとその差別化を提供できなかった結果に、昨今の状態があるのだと思います。

さて、新聞や雑誌はこのまま、古い情報しか扱えない層の中でくすぶって行くのでしょうか。書籍」が骨董品へと変化して行く中、雑誌やフリーペーパーはどのような役割を果たさなければいけないのでしょうか。

[ 無料化 ] が進む編集物のゆくえ

少し前のフリーペーパーの印象は、死にゆく雑誌の運命を裏切る新しい雑誌のビジネスモデルであったと思いますし、学生にやさしい新たな情報発信のスキームを与えた、若者ヒーローであるとも言えます。しかし、広告のみでその資金全てを賄うそのビジネスモデルは、商業として成立させるのであれば、フリーペーパー自体が広告に支配されるほかありません。資本主義に隷属化させることを望むのであれば、自身を広告の権化とするほかないのです。

そこで、資本主義の無言の圧力を無視した、草の根的な活動のフリーペーパーが死にゆく雑誌の代わりを果たさなければいけない時代が来ていると思います。きちんと編集された無料の情報は、人に読んでもらえたり、その時代において社会的に有用な情報を与えることのできるメディアになりうります。現代人は、無料の情報に慣れすぎてしまったのです。

ハイパーリンク VS ペーパーメディア

Webのメディアと、紙のメディアを優劣つけたがる流れが最近だと多いように感じられますが、それは非常にナンセンスであると思います。インターネットと紙とでは情報の編集の仕方が全く異なっているので、両者を同じ土台に持ってきて比較することはすべきでは無いと思っています。

インターネットには、ハイパーリンクというインターネット特有の情報構造が存在していて、情報と情報は数珠つなぎのようにつながっています。軽量な情報の集積とが見えないひもで結ばれていて、読者は海の中を浮かぶように情報を取り入れないといけません。

紙のメディアは、情報がそれで完結しています。例えると岩のようなものでしょうか。情報はページネーションの中での物語のように完結してなければならず、他のメディアへの連結はタブーなように思えます。一冊の短編小説を読むような物語をつむぎ、コンテンツとしてよい読後感へとつなげることが、紙メディアの目指すべきところであると私は思うのです。

まとめと謝辞

長々と書いてきましたが、言いたいことは3つです。

  1. よい雑誌を作るためには、編集とデザインの両方の視点をもつ
  2. 情報の扱い方はメディアに応じて変える必要がある。
  3. 雑誌は死なない。成熟してゆく。

世の中の情報は、深化と多様化をたどる一方で、メディアに関わる僕たちの生活もより一層複雑になってゆきます。その中で、情報をキュレーションして生活者へと届ける、編集者の仕事はより難しく大切になってゆくのだと思います。

と、まぁ。えらそーな事を書いてきましたが、たった一年間雑誌のデザインしただけの、しょぼい学生の考えたことなんで、あまり真面目に取らないほうがいいとは思いまスミス。

この一年は、インターネットと紙メディアを行き来していたので、色々と視点が広まった気がします。この場を借りて、僕を成長させてくれたフリーマガジンTELSTARに感謝の意を申し上げたいと思います。

編集という視点は、コンテンツを作る上で非常に重要なものであると思います。編集とデザインの力で、ただの野良情報をコンテンツに変える事ができる大人になりたいもんですね。

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